「You me」と一致するもの

interview with I.JORDAN - ele-king

クラブ・ミュージックは労働者階級から生まれたものだから、そういう街にいたことが自分に影響を与えているんだと思う。

 ハウスかと思えばテクノへ、テクノかと思えばトランスへ、トランスかと思えばハーフ・テンポのビートへ、あるいはジャングル~ハードコア、ガラージ、フットワーク、ポップスへ。紙一重でグルーヴを保持しつつもDJセットのなかで絶えずジャンルを横断するようなプレイングはクラブ・ミュージックのスタンダード・スタイルとすら言い切れる。特定のジャンルやスタイルへと身を捧ぐ美学も依然としてクラブ・カルチャーに欠かせない重要な要素のひとつだけれど、私たちの普段のリスニング態度というのはもっと気ままに、さまざまなサウンドやビートをコラージュするようなものであることは間違いないし、その自由さをクラブに持ち込むということはごく自然な動きでもあるだろう。

 そして、多くの若い人びとがクラブ・ミュージックを横断的に聴く、ということを強く意識したのはコロナ禍の、あのクラブの扉に鍵がかかってしまった時期のことではないだろうか? ホーム・リスニングを強いられた時代を経て、私たちは配信プログラムやウェブ上のDJミックス、動画コンテンツ、あるいはストリーミング・サーヴィスに星の数ほど広がるプレイリストの数々を絶えず渡り歩いてきた。その蓄積はけっして無意味なものではなかったし、むしろダンス・ミュージック受容の可能性を拡張したのではないか、とも考えられる。そんな感覚を(時代の要請とは無関係に)持ち合わせているアーティストたちに、いま光が当たりはじめている気配がする。

 今回インタヴューをおこなった〈Ninja Tune〉所属のアイ・ジョーダンもそのひとりだろう。北イングランドの郊外、労働者の街ドンカスターで生まれ育ち、現在はロンドンを拠点とするノンバイナリーのアーティストだ。階級差別と静かに闘いつつ、物心がつくころから変わらないピュアな音楽愛をもとに多彩なジャンルを横断するプレイヤーで、約10年にわたるアンダーグラウンドでのDJ活動を経て、2019年以降〈Local Action〉からシングルをリリース、2020年にはヒット曲 “For You” を送り出している。のちにコラボするフレッド・アゲイン同様、パンデミック時代が生んだプロデューサーと言えるだろう。その後〈Ninja Tune〉と契約、21年の “Watch Out!” であらためてその存在感を見せつけたアイ・ジョーダンの、ファースト・アルバムがついに完成した。現在流行のトランシーな感覚を維持しつつも、さまざまなスタイルに挑むこの新星にUKダンス・ミュージックの現在地を訊く。

音楽業界には労働者階級の人はあまりいないから、成功するために自分の訛りをなるべく消すように努めてきたけど、歳を重ねたいまは自分がどこから来たのかってことにプライドを持てるようになったし、出自への感謝も湧いてきたんだ。

いまはロンドンが拠点なんですよね。育ったドンカスターという街はどんなところですか?

IJ:ドンカスターが日本でよく知られてないのは、そんなに素敵なところじゃないからかな(笑)。基本的には労働者階級の街で、わたしが好きな音楽のシーンはなかった。だから16歳のときにドンカスターを出たんだけど、あそこは自分にインスピレーションを与えてくれる場所でもあったんだ。クラブ・ミュージックは労働者階級から生まれたものだから、そういう街にいたことが自分に影響を与えているんだと思う。ドンカスターはベースラインが生まれたシェフィールドとそう遠くないしね。ドンカスター・ウェアハウスっていうヴェニューがあるんだけど、そこは90年代初頭のUKレイヴやハードコア・テクノのパーティにとって重要な場所だった。

労働者階級であるということは、音楽をやるうえでもご自身にとって大きいですか?

IJ:そうだね。イギリスっていうのはすごく階級意識の高い国で、たとえば自分にはヨークシャーや北イングランドあたりの訛りがあるんだけど、そうした要素から、その人の階級をすぐに判断されてしまうような風土があって。わたしは、そういったものと闘ってきたところもあるかな。音楽業界には労働者階級の人はあまりいないから、成功するために自分の訛りをなるべく消すように努めてきたけど、歳を重ねたいまは自分がどこから来たのかってことにプライドを持てるようになったし、出自への感謝も湧いてきたんだ。ただ、自分は労働者階級のダンス・ミュージックをつくっているし、そうしたものに影響を受けてはいるんだけど、やっぱり音楽をつくるにはお金も練習するための時間も必要で、でも労働者階級だとそうした余裕は持てない。実際、自分の家族のなかでドンカスターを出たのはわたしだけだしね。もちろん、音楽の道に進んでいったのも。

最初に音楽を聴くようになったのはいつごろで、どういうものに惹かれていましたか?

IJ:人生をとおしてずっと音楽に影響を受けつづけてるよ。最初にギターを手にしたのが3歳ぐらいのころで、母がジョージ・マイケルやプリンス、フィル・コリンズ、シンプリー・レッドとか、そういう音楽を聴いていたから影響を受けたかな。10歳のころには本格的にギターを練習するようになって、そのときはロックに夢中だった。16歳ごろから徐々にダンス・ミュージックに興味を持つようになって、トランスやミニストリー・オブ・サウンド、イビザ的なサウンドを聴くようになったんだ。そのあともっとハードな音を求めてペンデュラムやハッピー・ハードコア、ドラムンベースなんかを聴くようになった20歳ごろからDJをはじめて、テクノ、ハウス、ドラムンベース、ガラージ、そういったものをプレイするようになっていった。

ノスタルジアというか、郷愁のようなものをトランスに感じとっている人が多いんじゃないかな。

あなたの音楽の特徴のひとつに、トランシーな感覚があります。いまトランスが流行しているのはなぜだと思いますか?

IJ:UKだけじゃなく、いまヨーロッパ全体でトランス・ミュージックが流行っていると思う。とくに90年代から00年代初頭のサウンド、ユーロ・ダンスのようなトランスがね。わたしもその時期の音楽には影響を受けていて、デビューEPの「DNT STP MY LV」にもトランスを入れてる。トランスの浮遊感や多幸感に触れる体験が好きだから、自分もつくってるんだ。そして、いまはトランスと同時にテクノ・エディットしたものがブームになっていて、たとえば自分もつくった曲を違うヴァージョンでテクノ・エディットにしたりしてる。全体的にノスタルジアというか、郷愁のようなものをトランスに感じとっている人が多いんじゃないかな。

現在トランスを受容している層はおそらくリアルタイム世代ではないですよね。

IJ:当時流行ってたトランスは聴いてたよ。7歳ぐらいのころに(笑)。労働者階級の住む街、とくに北イングランドだと、子どものころからダンス・ミュージックに触れる機会がすごく多いんだ。昔は中古のトランスのコンピレーション・アルバムなんかが簡単に、安く手に入りやすかったし、海賊盤もたくさん売ってたから。

UKではいまやはりレイヴも勢いがあるのでしょうか。

IJ:レイヴやクラブはすごく流行っていると思う。というか、それらはイギリスの一部だから、流行りつづけていると言ったほうがいいかな。とくにコロナ以降はこういったものをみんなすごくありがたがっていると思うし。

スクウォット式のレイヴもいまだ根強い?

IJ:いまでもフリー・パーティやスクウォット・レイヴはけっこうあるよ。とくに夏場は野外でおこなわれるものが多くて、たとえばロンドンのハックニー・マーシーズって公園だと、昼も夜もそういったパーティをやってるかな。

あなたが躍進していったのはコロナ禍のタイミングでしたが、トランスやレイヴといったカルチャーが盛り上がるようになったのは、やはりパンデミックの影響だと思いますか?

IJ:そうだと思う。パンデミックがあったことで音楽の聴き方や音楽への向き合い方が人びとの間で大きく変わっていったと思うけど、パンデミックが終わって友だちと一緒にクラブで音楽を聴けるようになったことを祝うムードはすごく大きくなったと思う。同時に、ダンス・ミュージックというものが違った方向でも聴かれるようになったと思ってる。クラブが閉鎖されているからこそ、その枠を飛び越えるようなダンス・ミュージックの新たな可能性をロックダウンが示してくれたんじゃないかな。

ちょうどパンデミックの起こった2020年に、あなたの代表曲ともいえる “For You” がリリースされました。2023年の現時点から振り返ってみたとき、どういう印象を抱きますか?

IJ:3年経って、この曲のことを考えることはよくあるけど、いまクラブではプレイしてないかな。今回の東京や上海は初めてプレイする場所だったから今回はかけたけどね(註:取材は昨年12月、来日公演のタイミングでおこなわれた)。3年間で自分は大きく成長できたと思うし、そのなかでこの曲はたくさんプレイしてきたから。いまは “For You” のことを誇りに思っているよ。

当時流行ってたトランスは聴いてたよ。7歳ぐらいのころに(笑)。労働者階級の住む街、とくに北イングランドだと、子どものころからダンス・ミュージックに触れる機会がすごく多いんだ。

〈Local Action〉のあと、〈Ninja Tune〉と契約に至った経緯を教えてください。

IJ:“For You” をリリースしたあとオファーをもらって、2枚のEPと1枚のアルバムを出すという内容の契約を結んだんだ。〈Ninja Tune〉はすごくいいレーベルで、できれば条件を達成したあとも契約を更新していきたいなと思ってるよ。

移籍した2021年にEP「Watch Out!」をリリースしていますが、それまで以上にハードコアなブレイクビーツが披露されている印象を受けました。

IJ:いや、そういうわけではなくて、わたしはハードコアなサウンドをずっとつくりつづけているつもりなんだ。「Watch Out!」には2曲ぐらいハードコアが入っているけど、ディスコ・エディットのハウス・トラックがあったりするし。ハードコア・テクノは自分の一部だから、その時期はとくに熱中してつくってたかな。いまは少し変わってきてて、テクノやトランスを中心につくるようになった。アーティストとして、いろんなプロダクションにアプローチしていきたい気持ちが強くて、たとえばアルバムはテクノやトランスもあるし、ガラージや実験的な要素も含まれている。なるべく多くのジャンルを横断的につくっていきたいと思ってる。

ふだんの制作において、なにかコンセプトを考えたうえでつくることはありますか?

IJ:EPや曲単体にかんしては内省的で自分自身を見つめ直すようなものが多いんだけど、明確なコンセプトはないかな。ただ、やっぱりアルバムを制作するとなると客観的な視点やコンセプトが必要になってくるから、ある程度ぼんやりとは考えている。

現在制作中のアルバムはどのような内容になっているのか、教えてください。

IJ:このアルバムは、自分の人生のなかでいちばん重要なプロジェクトで、誇りに思える大切な作品になった。わたしの尊敬するアーティストや友人たちともたくさんコラボレーションしていて、UKのクラブ・ミュージックをベースにエクスペリメンタルやハウス、トランス、ドンク、ガラージのような多彩な方向性を持つ音楽が混ざりあった内容で。それぞれ違ったセッティングや環境でも楽しんで聴いてもらえるアルバムだと思うよ。

Sisso - ele-king

 ロシアのウクライナ侵攻を一貫して支持しているチェチェン共和国は先月、子どもたちの未来のために音楽のテンポに制限を加え、BPM80以下もしくは116以上の音楽を取締りの対象にすると発表した。イスラム教というのは突拍子もなくて何を制限するのか予想もつかないけれど、どうしてまたそんなことを思いついちゃうのかなあ。ロック=西洋とか、ゲイに厳しい風土なのでディスコやハウスを規制したいというのはわかるとして、BPM80以下というのはダブとかスクリュードにも政府が脅威を感じたということなのか。だとしたらそれはそれでスゴい気もするし、BPM80~116というとほとんどのヒップホップはOKなので、チェチェンの未来はヒップホップ一色になっていくのかなとか。いずれにしろこれでチェチェンの子どもたちは〝フィガロの結婚〟や〝ナイトクルージング〟は聞けないことになり(クイーン〝We Will Rock You〟はぎりセーフ)、ましてやタンザニアのシンゲリである。2010年代後半にインド洋に面したダルエスサラーム州キノンドーニで火がつき、タンザニア全土で人気となったシンゲリはBPM170なら遅いほうで、ウィキペディアによると200から300がアヴェレージだとされている。300だと半分でとっても116以下にはならないし、そもそも「半分でとってます」と言っても警察には通じないだろうし……それ以前に警察官たちはBPMを理解できるのか? 逮捕する時はストップウォッチで測りながら?

 ウガンダの〈Nyege Nyege Tapes〉がタンザニアのシンゲリをまとめて紹介した『Sounds Of Sisso』が早くも7年前。シンゲリは当初からBPMの早さが話題で、伝統的なンゴマや外国の影響を受けたタアラブと呼ばれる祭りの音楽から派生し、ジュークやフットワークとも同時代性を感じさせる音楽へと発展する(伝統的な祭りとの結びつきが強いせいか、同じくウィキによると男は高速ラップで女はコーラスとジェンダーが分かれる傾向があるらしい)。『Sounds Of Sisso』はそれなりの話題を呼んだものの、同作がつくられたスタジオの所有主であり、中心人物の1人と目されるシッソことモハメド・ハムザ・アリーが翌19年にリリースしたソロ・アルバム『Mateso』は一本調子であまりいい出来とは言えず、シンゲリにフラップコアと呼ばれるフレンチ・ブレイクコアを掛け合わせたジェイ・ミッタの方が(14歳のMCを起用していたこともあって)僕の仲間うちでは面白がられていた。シッソとジェイ・ミッタは同じ年、さらにベルリンからエラースミス、グラスゴーからザ・モダーン・インスティチュート(=ゴールデン・ティーチャー)を迎え入れて共作アルバムをリリースし、翌20年にライアン・トレイナーが同地で受けた刺激を『File Under UK Metaplasm』にまとめたり、『Sounds Of Sisso』の続編で〈Pamoja Records〉の音源を集めた『Sounds of Pamoja』やDJトラヴェラといった若手の台頭が相次ぐものの、折からのパンデミックに出鼻をくじかれたか、同じクラブ系ミニマルでもベースに重きを置いた南アのゴムに較べるとそれほど大きく裾野を広げた印象はない。強いていえばタンザニア内でさらにBPMを早め、ハードコア化していくことになる。

 そして『Mateso』から5年。シッソは大きな成長を遂げていた。音楽性がまずは格段に豊かとなり、曲の構成だけでなく一本調子だったアルバム全体の構成も複雑になって、質素どころか実にゴージャスな『Singeli Ya Maajabu』の完成である。シンゲリといえば高速ラップだけれど、前作同様ここでもMCは入れず、躁状態のパーカッシヴ・サウンドをメインとしたインストゥルメンタル・アルバムに仕上げられている。オープニングはオルガンを連打し、テリー・ライリーがタコ踊りを踊っているような高速トロピカルの〝Kivinje〟。続く〝Kazi Ipo〟もパッセージの早いパーカッションに対して様々なスピードで挟まれるSEが幾重にもレイヤーされ、リズム以外に追いかける要素が多いことがとても楽しいBPM186。部分的には〝ウイリアムテル序曲〟などを思わせるため、DFCクラシックのレックス名義〝Guglielmo Tell〟なんか思い出したりして(つーか、これでもBPM155なのね)。前作の『Mateso』でもシャンガーンを思い出す場面は何回かあったけれど、〝Chuma〟はまさにマルカム・マクラーレンなどが遠くに聞こえ、アルバム全体にその感触は広がっている。〝Uhondo〟は比較的過去のハードコアに回帰したようなモノリズム調で、涼しい鉦の音から始まる〝Kiboko〟は一転してコノノ Nº1などのヘヴィな早回しヴァージョン。そう、00年代初頭にアフリカのオルタナティヴ・サウンドと呼ばれたコノノNº1やスタッフ・ベンダ・ビリリに比べてシンゲリはおそろしいほどヘヴィで、ベースは入ってないのにボトムの重量感がまったく違うところは明確に時代の差といえる。どこか食品まつりに通じる〝Timua〟からインタールードとして奇妙な女性コーラスをメインにした〝Mangwale〟が挿入されるあたり、リズムで押せ押せだった前作からは考えられない構成の妙で(笑)、ポリリズムを強調した〝Rusha〟はリズムがまさにごった煮で気がつくとリズムの迷子になりかける(こういう曲は5年か10年後にもう一度聴くのが楽しみです)。TGにシンゲリをやらせたらこうなるかなと思う〝Jimwage〟から水の音をループさせたり、エレクトロアコースティックを無理やりダンスフロアに引っ張り出したような〝Mizuka〟。メリハリを効かせた〝Jimwage〟に対してミニマルに徹した〝Njopeka〟はヤン富田を高速ブレイクビーツ化したようなもので、このあたりがアルバムのクライマックスをなしている。DJトラヴェラのレイヴ趣味にアンサーを返した〝Shida〟はとにかくウネウネとシンセがくねり、冒頭の〝Kivinje〟や〝Kazi Ipo〟に戻った〝Zakwao〟と、最後まで高速で突っ走る〝Ganzi〟で「見たことのない景色」は幕を閉じていく。シンゲリがどうというより、シッソがスゴいですよ、これは。僕はレコード・レビューの文章に「進化」というワードを使ったことがないけれど、これは確実に「深化」だといいたい。とはいえ、いまはBPM80以下の音楽が聴きたいかも……

interview with Anatole Muster - ele-king

 ジャズの世界でも最近はZ世代の活躍が目立ってきており、ドミ&JDベックのデビュー・アルバム『Not Tight』(2022年)はグラミー賞にもノミネートされた。若干22歳のアナトール・マイスターもそうしたZ世代のひとりだ。スイス出身で現在はロンドンを拠点に活動する彼は、ジャズの世界では珍しいアコーディオン奏者で、またプロデューサーとして自身でトラックや作品制作もおこなう。彼が影響を受けたハービー・ハンコック、ジョージ・デューク、パット・メセニー・グループ、リターン・トゥ・フォーエヴァーなど1970年代から1980年代にかけてのエレクトリック・ジャズやフュージョンのマナー、そして現在暮らすロンドンのジャズ・シーンやトム・ミッシュedblなどから発せられる新しいUKサウンド、さらにUS西海岸のルイス・コールサンダーキャットキーファーなどのクロスオーヴァーなジャズが融合し、それを幼少期から親しんできたアコーディオンを交えて表現しているのがアナトール・マイスターのサウンドである。

 2020年にファーストEP「Outlook」でデビューし、エモーショナルなメロディやエレガントなタッチのプレイで高い評価を受けたアナトール・マイスターは、テニソン、キーファー、ルイス・コールといったアーティストたちとのコラボレーションも実現させ、スイスやブラジルでおこなわれたモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出演し、ロサンゼルスやロンドンでも公演を成功させるなど、現在注目のアーティストへとステップを上がっていった。そして、2024年4月に待望のファースト・アルバム『Wonderful Now』をリリース。ルイス・コールをはじめ、サンフランシスコのビートメイカー/ピアニストのテレマクス、SNSで爆発的な人気を誇る女性シンガーのジュリアナ・チャヘイド、南アフリカで絶大な支持を集めるポップ・バンドのビーテンバーグのM・フィールドといった多彩なゲストをフィーチャーし、エレクトリック・ジャズやフュージョンをベースに、ダンサブルなビートやハイパーなポップ・サウンドを取り入れた2024年の最新型ジャズ・アルバムとなっている。

僕がずっと演奏してきた楽器と、聴いてきた音楽が自然と結びついたプロダクションをやって、気づいたらジャズのアコーディオン・プレイヤーになっていたよ。

あなたのプロフィールから伺います。スイス生まれとのことですが、音楽とはどのように出会い、どんな音楽を聴いて育っていったのですか? 子どもの頃はバルカン民謡やアイルランド民謡、ジプシー音楽などを聴いていたと伺っているのですが、スイス特有の音楽も聴いていたのでしょうか?

アナトール・マスター(以下AM):ヨーロッパ各地の伝統的な民謡をたくさん聴いて育ったよ。他にもクラシックもよく聴いていた。僕の親はクラシックのミュージシャンであり、民謡も大好きだったんだ。他にはタンゴやボサノヴァとかかな。スイスの伝統民謡はあまり聴かなかったかも。理由はわからないけど、僕の周りにはあんまりスイスの民謡を聴いたり、演奏したりする人はいなかったんだよね。

ティーンエイジャーの頃に父親のレコード・コレクションを通じてジャズと出会い、ハービー・ハンコック、ジョージ・デューク、スパイロ・ジャイロ、カシオペアなどおもに1980年代のフュージョン系のサウンドを聴いていたそうですね。ほかにもアラン・ホールズワース、パット・メセニー、ライル・メイズなどが好きだったそうですが、こうしたジャズ/フュージョンのどのようなところに惹かれ、影響を受けるようになったのですか?

AM:父親の古いレコード・コレクションを見つける前は、YouTubeとかでフューチャー・ベースやチルホップのようなエレクトロニック・ミュージックにハマっていて、そこからの流れで同じくYouTubeでよりジャジーなアーティストであるリド、テニソン、メダシン、ロボタキ、トム・ミッシュ、ケイトラナダ、パーティ・パピルスとかを聴くようになったんだ。そこから偶然僕の父親のレコード・コレクションを見つけて、ハービー・ハンコックやジョージ・デュークのようなエレクトロニック・ジャズやフュージョンを自然と聴くようになったんだよね。似たような音楽をすでに聴いていたからスッと入ってきたよ。このときにはすでにエレクトロニックなビートメイクをしていたんだけど、ハービーとか1970年代、1980年代の音楽をより多く聴くようになって、それらから影響を受けてハーモニーやグルーヴを意識するようになった。だからいままで聴いたいろいろな音楽をミックスして自分の音楽にしているつもりだよ。

いま話に上がったテニソンはじめ、サム・ジェライトリー、ノウワーなど現在のエレクトリックなサウンドにも興味を持つようになったそうですが、たとえばハービー・ハンコックなどもそうしたサウンドの元祖と言えるところもあるので、ジャズとそうしたエレクトロニック・ミュージックはあなたの中で自然に結びついていったのでしょうか?

AM:とても自然に結びついたね。むしろ、僕はエレクトロニック・ミュージックの要素が入ってないジャズをあまり聴かないかも。

あなたが演奏するアコーディオンやバンドネオンは、アストル・ピアソラはじめアルゼンチン・タンゴの世界で有名で、またジプシー音楽やシャンソンなどでもよく用いられる楽器です。一方、ジャズの分野ではあまり使われない楽器で、アメリカ出身だがヨーロッパで人気を博したアート・ヴァンダムや、フランスのリシャール・ガリアーノなどが有名ではあるものの、プレイヤーは多くはありません。最近はポルトガルのジョアン・バラータスなど若い演奏家も出てきているようですが、あなたはなぜこの楽器を選んだのですか? おじさんの影響で8歳の頃から演奏していると聞きますが。

AM:僕が小さい頃にアコーディオンという楽器を選んだのは、僕のおじの音楽が大好きだったからだね。彼はアコーディオンの演奏家で、プロデューサーであり作曲家なんだ。10代のはじめまでアコーディオンの演奏を続けて、そこからエレクトロニック系統の音楽にハマっていって、最終的にジャズにたどり着いたんだ。僕がずっと演奏してきた楽器と、聴いてきた音楽が自然と結びついたプロダクションをやって、気づいたらジャズのアコーディオン・プレイヤーになっていたよ。

アコーディオンをプレイするのが好きであると同時に、ジャズ/フュージョンとエレクトロニック・ジャズが本当に好きっていう感情があり、それらが混ざりあっただけなんだ。他のことはできる気がしないし、これをやるしかなかったって感じかな。

アコーディオン奏者として影響を受けたアーティスト、好きな作品などを教えてください。

AM:パーソナルに普段聴いている音楽で、アコーディオンが入ってる曲を探すのは結構大変なんだけど、ミシェル・ピポキーニャとメストリーニョの “Baião Chuvoso”、アドリアン・フェローとヴィンセント・ペイラーニの “Marie-Ael”、エディット・ピアフの “L’Accordéoniste”、ペタル・ラルチェフの “Krivo Horo”、アストル・ピアソラの “La Casita de Mis Vjejos” とかがお気に入り。アコーディオニストでいうと、ペタル・ラルチェフ、ヴィンセント・ペイラーニ、メストリーニョが大好きで、彼らはアコーディオンという楽器の可能性を大きく広げてくれたアーティストたちなんだ!

バーゼルの音楽学校でアコーディオン演奏を習うと同時に、作曲や音楽理論も学び、アコーディオンの即興演奏など技術も身につけていきます。そして、現在はロンドンのロイヤル・アカデミー音楽院でジャズを勉強中とのことですが、進学のためにロンドンへ移住したのですか? また、ロンドンに来てから音楽に対する取り組みや環境で変わったことはありますか?

AM:ロンドンに引っ越した一番の理由は活発的な音楽シーンがあるからだね。スイスに住んでいるときもロンドンのシーンで何が起きていたのかをチェックしていたよ。ここに引っ越してこれてハッピーだし、成果もたくさんあったね。たくさんの素晴らしい友人を作れたし、とても大事なコネクションも得ることができた。ロンドンのシーンと上手くやっていると思うよ。

2020年に初めてのEP「Outlook」を発表し、モントルー・ジャズ・フェスに出演したり、テニソン、キーファー、ルイス・コールなどさまざまなアーティストと共演するなど、プロのミュージシャンとして活動するようになったのもロンドンに来てからですか?

AM:「Outlook」でテニソンやキーファーとコラボしたときは、両方ともロックダウンしていた時期で、とにかくその時期は僕にとってクリエイティヴなことに熱中できる時期だった。多くのミュージシャンが僕と同じように家から出られずにいたから、普段以上にコラボレーションするには最適な時期だったと思う。だからこのアドヴァンテージを活かすことに決めて、多くのプロダクションをはじめたよ。 ルイス・コールと初めて会ったのは僕がロンドンに引っ越してきてからの話で、それから多くのヤバイことが起きていった。リオで開催された モントルー・ジャズ・フェスティヴァルに呼ばれたのもそのうちのひとつだね。

ロンドンにはジャズのシーンがあり、世界的にも注目を集めているわけですが、あなた自身はそこと交流を持っていますか?

AM:そうだね! 僕もロンドンのジャズ・シーンの一員として役に立てるように頑張っているよ。幸運なことに世界的に活躍しているミュージシャンと一緒にプレイできている。多くのジャム・セッションをおこなうことで、たくさんのミュージシャンと繋がりを持てるし、音楽的なアイデアの交換もできているよ。

どちらかと言えばクラシカルなイメージの強いアコーディオンという楽器を、ジャズの中でも新しい試みをおこなうフュージョンやエレクトリックなサウンドと結びつけるアイデアはどのように生まれてのですか? アコーディオンの伝統的な奏者とは明らかに異なることをやっているのですが。

AM:アイデアを思いついたというよりは、アコーディオンをプレイするのが好きであると同時に、ジャズ/フュージョンとエレクトロニック・ジャズが本当に好きっていう感情があり、それらが混ざりあっただけなんだ。他のことはできる気がしないし、これをやるしかなかったって感じかな。ラッキーだったのは、僕はプレイヤーとしてだけではなく、プロダクションにも関わっていたので、自分の好きなことをひとつのアイデアとしてまとめあげることができたって感じかな。

クラブ・ミュージックの世界では、2000年代にフランスからゴタン・プロジェクトが登場し、タンゴや古いジャズ、ラテン音楽やアコーディオン・サウンドとエレクトロニクスを融合したユニークなサウンドで注目を集めました。彼らはアストル・ピアソラやガトー・バルビエリなどもカヴァーしていたのですが、聴いたことはありますか?

AM:このユニットは聴いたことなかったから、いま聴いてみたけど、めちゃくちゃ良いね! 似たような音楽を聴いたことがなかったよ! レコメンドありがとう!

普段の音楽制作はどのようにおこなっていますか? アコーディオン演奏はもちろんですが、あなた自身でビートメイクをしているのでしょうか?

AM:そうだね、僕は作曲、アレンジ、演奏、プロダクション、ミキシングまで全部ひと通り自分でやっているよ。コラボレーションのパートとマスタリングだけ他の人にお願いしている感じかな。僕のアルバムはラップトップで作ったんだ。マイクでヴォーカルを録音したり、MIDIのキーボードを使ったりはする。アコーディオンに関しては僕の持ってるアコーディオン・マイクを使っているね。ラップトップだけでなんでもできちゃう世の中に感謝しちゃうよ!

ラップトップだけでなんでもできちゃう世の中に感謝しちゃうよ!

ファースト・アルバム『Wonderful Now』について伺います。あなたにとって初めての声明とも言えるこのアルバムですが、どのようなアイデアやコンセプトがあり、どのようにして生まれたのですか?

AM:『Wonderful Now』は僕の音楽のアイデンティティを探す旅を閉じ込めたものだね。幼い頃からエレクトロニック・ミュージックが好きで、それと同時にジャズ/フュージョンに強い繋がりを感じはじめた。ロンドンでジャズの勉強をはじめたとき、ジャズ/フュージョンがトレンド的なモノだとは全く感じていなかったので、孤独を感じていたし、ときには自分の音楽をどういう方向性で作りたいのか迷走してしまった時期もあって、そのときは音楽の楽しみ方すら忘れてしまっていたよ。だから自分のルーツに一度戻ってみて、昔よく聴いていたフューチャー・ベースやディープ・ハウスのような音楽を制作して、そうしたときに感じた興奮を取り戻したんだ。それでいつの間にかプレッシャーは消えて、また音楽を作ることが楽しめるようになった。それでいままで作ってきた音楽の中にゆっくりとジャズが僕の音楽性として染み渡っていき、新しい道を開いてくれたんだ。それが、新しさのある音楽に生まれ変わって『Wonderful Now』という誇らしい作品を作ることができたよ。さっきも言ったけど、ほとんど僕のラップトップの中で制作された作品だね。もちろん素晴らしいミュージシャンとのコラボレーションも混じっているけど。

ルイス・コールのほかは新進のミュージシャンが多く参加していて、サンフランシスコや南アフリカなど、世界各地に人脈が広がっています。SNSで話題になっているような人もいて、そうしたネットを通じて広がった人脈かなと思うのですが、どのようにしてゲスト・ミュージシャンを集めたのですか? また、身近なロンドンや出身地のスイスではなく、少し離れた場所の人たちとネットを介して繋がっているのがいまっぽいなという印象です。彼らとはデータのやりとりなどオン・ラインで音楽を制作したのですか?

AM:ほとんどのミュージシャンとはネット上で出会ったね! レオ・マイケル・バードは学校の友だちなんだけど、他のミュージシャンに関しては僕がInstagramやSpotifyで見つけた人なんだ。いまではほとんどの人と直接会って、仲良くなったよ。例えば、M・フィールドはここ2年間に最もSpotifyで聴いたアーティストのひとりで、彼にインスタのDMで僕がどれだけ彼の音楽が好きなのかを伝えて、「僕の曲で歌ってくれないかな?」とダメ元で連絡してみたら、返事が帰ってきてね! 彼もいまはロンドンに住んでるから、一緒に曲を作ったり、フリスビーをして遊んだり、ホット・チョコレート作って飲んだり、一緒にライヴで演奏するようになったね。遠くに住んでいるアーティストはだいたい自分のパートをデータで送ってきて、それを僕がミックスして形にしているよ。

ルイス・コールのノウワーとも共通するのですが、アルバム全体の印象としては非常にポップなサウンドになっていると思います。シンガーをフィーチャーしているのもノウアーと同様のアプローチですし、実際に今回のアルバムにも参加するルイス・コールからの影響が大きいのでしょうか? 彼と共演するサンダーキャットなども影響を与えているのかなとも思いますが。

AM:もちろん! ルイス・コールとノウワーからはいつも凄くインスパイアされてるよ。僕が音楽制作をスタートした頃から彼らの音楽が好きで、どうやったらあのようなサウンドを作れるか知りたかったくらいだ。サンダーキャットもずっとファンだね!

かつてのリターン・トゥ・フォーエヴァーのように、ジャズという音楽をロックやポップ・ミュージックとうまく融合し、新しい時代を切り開いていくようなアルバムになっていると思いますし、それはあなたが影響を受けたというハービー・ハンコックやジョージ・デュークなどにも共通するものです。あなた自身はあなたの音楽についてどこを目指していますか?

AM:僕の音楽的なゴールは、自分が駆け出しの頃に憧れていたようないまいちばん熱いシーンの中心にある音楽を作ることだね。

interview with Yui Togashi (downt) - ele-king

 ステージ上で速く複雑なピッキングでギターを弾きまくり、ときに叫びにも近い感情的な歌を聴かせるギタリスト/ヴォーカリストと、壇上から降りたあと、注意深く耳を傾けないと聞きとれないほどの小さな声で話す富樫ユイとの間には、とても不思議なギャップがある。

 2021年に結成されたdowntは、富樫と河合崇晶(ベース)、Tener Ken Robert(ドラムス)とのトリオで、富樫のソングライティングを中心に、作品をつくることに重きを置いて、東京で活動している。これまでにミニ・アルバム『downt』(2021年)、EP「SAKANA e.p.」(2022年)、シングル「III」を発表し、日本のインディ・ロックの紹介にも力を入れているUKの〈ドッグ・ナイツ・プロダクションズ〉からコンピレーション・アルバム『Anthology』(2022年)がリリースされたこともある。2022年にはFUJI ROCK FESTIVALのROOKIE A GO-GOにも出演し……と、活動歴はまだ3年だが、実績を着実に積み上げてきている。いま注目のバンド、と特に今年は何度も紹介されたことだろう。

 3人がここにきてつくりあげたファースト・アルバム『Underlight & Aftertime』が、バンドの歩みを振り返りつつ(“111511” や “mizu ni naru”、“AM4:50” と、初期の重要曲の再録が含まれている)、これまでにない新しいアプローチでバンド・アンサンブルを深化させていることは、過去の作品と聴き比べたらよくわかる。変わったこと、変わらないこと。エモやオルタナティヴ・ロックの蓄積の反響と、この国特有のロックの複雑性や質感の反映。

 ただ、そういう外在的で分析的な視点がどうでもよくなってくるほどに、このアルバムは内在的で、暗く塞がった、けれども心地よい孤独感に満たされている。それは、孤高というのとはだいぶちがう。冷めていて、刺々しさがありながらも、自問自答の精神世界に深く導かれるような、そして聴き手に直接語りかけてくるような、「氷の炎」とでも言うべき、突き放した親密さというか。どん詰まりに行きあたったものの、解決の糸口を見つけたかと思ったら、また元の場所に戻っていくような、ものさびしいストーリーテリングが、アルバムを構成している。その表現の芯に富樫の歌や詞やギターがあるのは、疑いようがない。では、そのさらに奥の背景にあるものとは?

 アルバムのリリースからしばらく経っておこなったこのインタヴューでは、過去に様々な場で語られてきたことを繋ぎあわせながら、富樫のライフ・ストーリー、downtというバンドを結成するまでのことから現在のありようまでを聞いた。音楽の話というよりも、内面を掘りさげたものになったが、それもこのバンドの音楽を知るうえでは意味のあることだと思う。

最初は「何がいいんじゃ?」って感じでまったくわからなくて、何十周も聴いたんです。期間を空けたら、なんか逆に聴きたくなってきちゃったんですよね。マイナー・スレットを、特に。

中国でのライヴが目前ですね(取材は2024年4月15日におこなった)。

富樫ユイ(以下、YT):海外に行くこと自体が初めてなのでドキドキですね。downtの企画をやると「飛行機で来ました」と伝えてくださる中国や韓国からのお客さんがいて、「はー!」ってびっくりします。bilibili(中国の動画サイト)に上げる動画も反応がよかったりします。

そういえば、3月22日のリリース・ライヴに行ったとき、中国人のファンがすぐそばで見ていました。『Underlight & Aftertime』がリリースされて1か月以上経ちましたが、反応はいかがですか?

YT:想像していた反応とはちがったかもしれないですね。制作中はオーディエンスやリスナーの反応は考えないようにしているんですけど、新しいアプローチで曲をつくったので、「私たち以外の人が聴くとどう感じるのだろう」と思ったりはしました。昔から知ってくれている人やバンドの友だちからは「ソリッドになったね」とか、そういう意見が多かったですし。実際リリースされると、嬉しい反応が多かったかもしれないです。自分が思ってたよりは……。

このアルバムからdowntを知る人のほうが多いのでは、とも思います。

YT:そうですね。初めて出した『downt』は自己紹介みたいなものだったので。今まで私たちのことを知らなかった人たちにも聴いてもらえたら、ひとつの起点やなにかのきっかけになったらうれしいです。

今回のインタヴューは富樫さんのパーソナルな話を中心に聞きたいと思います。生まれは札幌だそうですが、どんな場所でしたか? 都心部だったのか、郊外や田舎のほうだったのかなど。

YT:都心部だったと思います。夏は過ごしやすくて、冬は雪が降っても暖かったです。気温が氷点下になっても、なぜかあったかいんですよ。除雪機が雪を道路の脇にばっと積んで、その雪がかまくらみたいになって風が遮られるので。

musitのインタヴュー(https://musit.net/interview/downt-underlight-n-aftertime)では、子どもの頃は勉強が好きになれず、絵を描くのが好きだったとおっしゃっていました。富樫さんが描く、ゆるキャラっぽいグッズのイラストと関係しているのかな? と思ったのですが。

YT:グッズはメンバーの要望や意見を組み合わせて、自分なりに「こんな感じかな?」と模索しながらつくっているので、ゆるキャラっぽいのが多くなっているような……。絵を描くのは好きで、根詰めてずっと制作していて「あ~……」ってなってくると、気分転換で描いたりします。私は漫画が好きで、昔は漫画家になりたかったんです。

そうなんですか!? それは意外ですね。

YT:ちっちゃい頃の話なんですけど、『ちゃお』や『りぼん』の後ろの方に「新人漫画家募集!」というのが載っていたので、Gペンを買ってもらって自分の作品を描いて応募したりしていました。

本格的ですね。描いていたのは少女漫画ですか?

YT:そうです。でも、当時はホラーやサスペンスにハマっていて、私もそういう少しグロテスクなものを描いていたみたいで……(汗)。
 漫画を描いて、「できた!」って母親に見せたら、母の顔が真っ青になったのを覚えています。「あんた、大丈夫?」って心配されて、すごく悲しかったんですよ。そんな風に言われるなんて思っていなかったから。それで漫画を描くのをやめちゃった記憶があります。

当時憧れていた作家や好きだった作品はなんでしたか?

YT:『満月をさがして』という種村有菜さんの作品がすごく好きで、サイン会に行ってサインしてもらったこともあります。

その頃のご自身と現在の富樫さんは繋がっていると思いますか?

YT:う~ん……。ひとつのことをひとりでずっとやる、みたいなところは繋がっているかもしれないです。

家にいるのが好き、という点は今も一貫していますか?

YT:昔からですね。友だちと遊ぶのが得意じゃなかったんです。友だちはいたんですけど、ひとりで遊ぶ方が楽しくて。それはどうしてかっていうと、自由にできたから。人に合わせるのが苦手だったんでしょうね。自分でつくったルールのなかで遊ぶのが好きで。公園で好きだった遊びが、砂を研磨することだったんです。

どういうことですか(笑)?

YT:滑り台の上の方にこうやって何度も砂を投げると、砂が滑り台を転がって研磨されてめちゃくちゃ綺麗になるんです。そういう遊びをひとりでひたすらやっていました(笑)。

孤独な反復で何かを磨いていく行為は絵を描くことやギターの練習にも繋がっていそうですね。

YT:高校時代は友だちから「ユイ、このあと一緒に遊ぼうよ」って誘われても、「ごめん、家帰るわ」って断ってしまっていたことが多かったです。ひとりで音楽を聴いたり、家でギターを弾いているほうが楽しかったんですよね。そのうちに、気がついたら誘われなくなってました。

子どもの頃はピアノを習っていたんですよね?

YT:3歳から中学に上がるまでやっていました。ただ先生が厳しすぎて「行きたくない!」と親に泣きついてやめました。ピアノが楽しいというよりも、先生が怖いという印象の方が強くなってしまって。でもピアノはいまも好きで、寝る前はクラシック・ピアノを流しながら寝ることが多いです。

ところで、「春が嫌い」と以前おっしゃっていましたが、たしかにdowntの音楽に春夏感はないですよね。圧倒的に秋冬感が強い。

YT:春は嫌いなんですけど……たぶん好きなんでしょうね、きっと。嫌よ嫌よも好きのうち、みたいな。嫌いだけど春にしか感じられないことがあって、それを感じていたい。
 夏は好きです、嫌いだけど。どんな季節が好きなんだよって思われそうですけど、たぶん全部の季節が嫌いで。

あと、富樫さんがインタヴューなどでよく使う言葉に、「冷たい」というのがありますよね。「冷たいものが好き」とか。「冷たさ」は富樫さんの表現における核のひとつだと思うんです。

YT:私が言う「冷たさ」は「寒さ」とかじゃなくて、キラキラしたものにも必ずある棘や冷たい空気感みたいなもの、というか。それは人との会話に感じるときもあるし。冷たいけど嫌な感じじゃなくて、すごく悲しくて美しいもの。そういうところに身を置きたくなるというか、そういうのが心地よいですね。

「冷たいものの美しさ」というのは、downtの音楽の一側面を言い表していますね。先日、よく晴れた日曜日の昼下がりに外を歩きながら『Underlight & Aftertime』を聴いていたら、陽気や暖かい空気に全然合わなかったんです(笑)。ただ、夜の暗さやひんやりとした空気にはすごく合う。

YT:それはよく言われます。「夜っぽい」って。夜は好きですね。

夜更かしするタイプですか?

YT:しますね。私はまとまった睡眠時間はあまりとらなくて、起きたり寝たりを繰り返しているので、就寝時間も決まっていないんですね。夜になると目がすごく冴えてくるんです。幼少期は家庭が厳しかったので「早寝早起きしなさい」と言われていたんですけど、そういうのから解放されて自由になってから、こういう生活のほうが合うなって思いました。なので、子どもの頃はずっとしんどかったと思います。

ものすごい喪失感があったんです。それを埋めるために……必死で埋めたくて埋めたくて、がむしゃらに音楽をやりはじめたのかもしれません。ここにいたらダメだ、私は自分の力で自分を変えなきゃいけないって。

話は変わりますが、富樫さんが「バンド」というものを知ったのは中学時代、ELLEGARDENをすすめられたことだとおっしゃっていましたね。あと仲のよかった先輩が学園祭でバンドをやっていたとか。

YT:そうです。中学でバンドの演奏を初めて生で見て、バンドという概念を知って。スピッツの “魔法の言葉” をやっていて、「これって演奏できるんだ! バンドってすごい!」と思いました。

でも「ドラムは家で練習できない」、「ベースは力がいるから女の子には無理」と言われて、ギターを弾くことになったという。

YT:ギターは最終選択肢だったんです。初心者セットを買ってもらって弾きはじめました。

厳格なご家庭だったのにギターを買ってもらえたんですね。

YT:私も不思議でした。音楽は親が昔できなかったことだったみたいで、「私がやれないのはかわいそうだ」、「同じ気持ちにさせたくない」ってことでギターを買ってあげた、という話は親から聞いたことがあります。

ギターの練習はコピーからはじめたのでしょうか?

YT:そうです。兄がドラムをやっていたのでバンド・スコアを見せてもらって。

何のバンド・スコアでしたか?

YT:ハイスタ(Hi-STANDARD)とかマスドレ(MASS OF THE FERMENTING DREGS)とかエルレ(ELLEGARDEN)とか。すごく好きだったのは東京事変の長岡亮介さんです。でも、長岡さんのギターってめっちゃむずいじゃないですか。当然うまく弾けないんですけど、弾けないながらもひたすら練習していました。まず、コード弾きしていたところから単音弾きができるようになるには山をひとつ越えなきゃいけないので、練習しては挫折しての繰り返しでしたね。高校時代はバンドを組んでいたわけでもなく学園祭でたまにちょっと弾いてみるだけで、あとはひたすらひとりで練習して楽しんでいました。

昨年、「III」のリリース前に『ele-king vol.31』でインタヴューさせていただいたとき、先輩から「これを弾け」と言われてジェフ・ベックなどを練習した、とおっしゃっていましたよね。

YT:ジェフ・ベックじゃなくてレッド・ツェッペリンですね。高校に軽音部がなかったので、大学では絶対に音楽サークルに入りたいと思って。大学で入ったサークルに70、80年代のロックが好きな先輩が集まっていたんです。「ギターをやりたいです」って言ったら、「お前はまずこれを弾け」ってまったく聴いたことがなかったレッド・ツェッペリンとかキング・クリムゾンを耳コピさせられて。画質が酷いYouTube動画で運指を見ながら練習していたんですけど、挫折しました……。キング・クリムゾンの音楽は大好きなんですけど、自分では弾けないし別に弾きたくないなって。

当時、富樫さんが好きだったギタリストはどなたですか?

YT:大学時代は赤い公園の津野米咲さんが大好きでした。長岡亮介さんっぽさを感じたんですけど、米咲さんのインタヴューを読んだら「長岡さんが好き」と書いてあって、「やっぱり」って。それでもっと好きになりました。ふたりに共通しているのは、ギターをピアノみたいに弾くじゃないですか。そこがすごく好きで。自分がやりたいことのひとつですね。downtではあまりできていませんが、そういうギターを弾けたらいいなと思っています。

『Underlight & Aftertime』では、複雑なフレーズを速いパッセージで弾くプレイが以前よりも減っていて、コード・ストロークやシンプルなリフ、ゆっくりとしたアルペジオなどが中心ですよね。

YT:今回はバンド・サウンドを目指したんです。「自分はなんでバンドをやっているんだろう? バンドで何がしたいんだろう?」ってすごく考えて。いままでは自分が弾きたいフレーズとかを優先していたんですけど、今回はアンサンブルにより重点を置きました。ノリや曲の山場、各楽器の絡み方、曲の全体像をより高い場所から見るように考えてつくったので、余計なことはしないようにしました。

トリオならではの演奏を活かして、アンサンブルを塊にした?

YT:まさにそうです。音が重なってできる塊。ひとりで音楽をしていない意味はそこにあると思っていて。バンドでやれること、バンドをやる意味ってなんだろう? と考えて、そういう方向へシフトしていきました。

その一方で、「こういうかっこいいフレーズを弾きまくりたい!」というもうひとりの富樫さんもいたのでは?

YT:たしかに、曲のオケやデモをつくっていると、無意味なギターを弾きだす自分もたくさんいましたね。でも今回の制作では以前よりもさらに、この曲においてこのギターは、この音は本当にいるのか? ということをずっと考えていたので。ただ、これを弾きたいんだっていう気持ちというかマインド的なものは、なくしちゃいけないと思ってます。

「聴く音楽が変わった」ともおっしゃっていましたよね。

YT:聴く音楽というか、音楽の聴き方が変わったかなと思います。きっかけはD.C.ハードコアで、それは「好き」とかとはまたちがった感覚で。個人的には初めてこんな気持ちになったかな。

ベーシストの河合さんが好きなジャンルですよね。

YT:そのあたりは、河合さんがすごく好きで。制作をするにあたってまずコミュニケーションができないと、鳴らした音に対しての会話もできないと思って。最初は「何がいいんじゃ?」って感じでまったくわからなくて、何十周も聴いたんです。その後また、自分の好きな曲を聴いたりして期間を空けたら、なんか逆に聴きたくなってきちゃったんですよね。マイナー・スレットを、特に。「この気持ち、何だろう? これってバンド・サウンド? もしかしてアンサンブル?」みたいな感じで未だに解明できていないんですけど、それから音楽の聴き方が変わった感じがします。視野を広げて曲の全体像をひとまとまりとして上から見下ろせるようになったかもしれません。

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あんまり家庭環境がよくなかったんですよね。たぶんずっとさみしかったんだと思います。そこがはじまりで。その頃から他人に対する違和感とか、どこまでいってもわかりあえないとか、自分は何もできないんだって無力感が。友だちを失ったことをきっかけに、もうこれは自分を一回死なせるしかない、と思って。

話は戻りますが、札幌から京都に移られたのはいつ頃でしたか?

YT:高校卒業後です。札幌にいた頃の私は、ロボットみたいだった。京都に来てからは、肌馴染みがすごくよかったです。何もしなくてもスッと浸透してきて。とても心地よい場所です。

大学卒業後は就職して働いていらっしゃって、ご自身でバンドをやらずに友人の演奏を見たり聴いたりしていたそうですね。

YT:そうです。オリジナル曲をやるってすごい、ハードルが高いな、自分なんか……ってずーっと思っていました。恥ずかしい、自分の曲なんて他人に聴かせられないって。自信がなかったんですね。なので、オリジナルをやっている人たちが羨ましかったです。それとは裏腹に、(小声で)「私、たぶんもっといい曲が書けるんじゃかな~……」って思ったりもしていました(笑)。ただそう考えるだけで、「形にすること自体がすごいんだ」とか、自分のなかでいろんな思いが対立していて。

ただ、表現欲求のようなものが溜まっていたということですよね。

YT:たぶんそうですね。昔からそうで。中学の同級生がみんなすごく勉強していて、自分も勉強させられていたけど、一番になるのは絶対に無理だったんです。それでいつも劣等感を覚えていて、「何だったら勝てるんだろう? 勝ちたい」とずっと思っていて。負けず嫌いなのかも。なので、自分は表現……かっこよく言っちゃえば「芸術」みたいなののほうが得意かもしれない、とは思ってました。

苦しかったですか?

YT:いや、苦しさはなかったですね。もやもやはしていました。芸術をうんとやれる環境に身を置いてみたかった自分もいたけれど、どうしてもそれを口に出せなかったです。もやもやがずっとあって、あることをきっかけに「もういいや。誰に何を思われてもいい」と自分で決めたときの決意はすごかったです。

『MUSICA』2024年4月号でのインタヴューでそのあたりのことを深いところまでお話しされていましたが、人間関係のトラブルで友人を失って苦しみから抜けだせなくなった、とおっしゃっていましたね。それも同じ頃ですか?

YT:まさにそのタイミングでした。ものすごい喪失感があったんです。それを埋めるために……必死で埋めたくて埋めたくて、がむしゃらに音楽をやりはじめたのかもしれません。ここにいたらダメだ、私は自分の力で自分を変えなきゃいけないってそのときに強く思って。誰も私のことを知らない場所と状態ではじめてみようって。

自作曲のデモ作りもそのタイミングではじめたんですか?

YT:急にやりはじめました。“111511” が初めてつくった曲で、そこからすべてがはじまりました。打ち込みもやったことなかったけど、なんとなく感覚でやってみて。すごい意味のわからないフィルとか、めっちゃ入ってましたし(笑)。

『Underlight & Aftertime』はその “111511” や “mizu ni naru” のような初期の曲が中盤から後半にかけて置かれていて、構成にストーリーが感じられました。

YT:そうですね。アルバムという作品をつくるなかで、流れは大事かなと思っています。意味は後づけかもしれないけど、直感的にこの流れがいいなと。

富樫さんがメンバーを募集してバンドを組んだ際の動機に、「作品づくりをしたい」というのがあったそうですね。その起点が、downtの作品にはよく表れていると思います。インタールードを複数入れることで、構成されたひとまとまりの作品をつくろうという意志が強く感じられるんです。

YT:私――私だけじゃなくメンバーもそうかもですけど、シングルってあんまり聴かないかもしれないです。
 一曲を聴いただけじゃ感じられないもの、アルバムを通して聴いたときにだけ感じられるものが絶対にあると思うので。「SAKANA e.p.」もですけど、聴いてそういうものを感じられるところまで作品を持っていきたいと思っています。

「ライヴで大きな音を出したい」ではなく「作品をつくりたい」という気持ちが根っこにあることが、富樫さんとdowntの魅力に繋がっていると思うんです。

YT:人前に立つのが得意ではないかな……。
 バンドをはじめる前は特にそうで、いまだにライヴがそんなに好きじゃなくて慣れないんですけど。根本的につねに不安と手を繋いでいてしまっているんですよね。だからこそなのか、作品として形になったものを残してみたいという思い入れが強かったんじゃないかなと思います。ライヴはやらなくていいかなっていう気持ちもあったし。
 でも、最近はライヴをするのも楽しくなってきたかもしれない。気のせいかもしれない。

また話を戻しますが、富樫さんが決意をして京都から東京に出てきたことは、人生をリセットしたことに近いと思うんです。その決断はご自身にとってよかったと思いますか?

YT:すごくよかったと思います。私たぶん、あのときに一回死んでるんですよね。いまもう一度生き直そうとしているので、生き直せてよかったと思います。こうなるって未来はまったく予測していなかったし、「大丈夫かな? 急に死ぬかな?」って思っています。

結成からまだ3年なので、バンドの成長や拡大がハイ・ペースではありますよね。

YT:なので、つねにギリギリで生きています。踏み出してよかったです。ずっと踏み出せなかったので、怖くて怖くて。あのとき、踏み出した自分を「よくやりました」ってほめてあげたいです。まあ、あのときの自分はもう死んでるんですけど。

過去の富樫さんを葬る以前、いちばん嫌だったことって何でしたか?

YT:……幼少期まで戻ってしまうと、あんまり家庭環境がよくなかったんですよね。父と母の関係とか、母がずっと働きづめだったとか。それで、たぶんずっとさみしかったんだと思います。でもそれを母にも言えない、兄もいたけど言えなかった。恥ずかしかったんです。そこがはじまりで。その頃から他人に対する違和感とか、どこまでいってもわかりあえないとか、そういう思いがありました。自分は何もできないんだって無力感がすごくあったんです。友だちを失ったことをきっかけに、もうこれは自分を一回死なせるしかない、と思って。あんな行動力は、たぶんもう出せないと思います。っていうぐらい、そのときのエネルギーはすごかったです。「生前」はそんな感じでした。

音楽をやることでその違和感、無力感、喪失感に抗っている?

YT:きっと元に戻らないことには気づいて。それが音楽をやることによってちょっと楽になれた部分はありました。空いた穴のなかには黒くて重たい錘があって。その重さと等しいくらい外に向かおうとするエネルギーは持っているんですけど、そこからはみ出ることはなくて、円の縁をずっとぐるぐる回っているような感じ。どこに行きつくわけでもないから、抗っているのとはちがうかもしれない。エネルギーを保持してバランスを取り続けるものが音楽なのかもしれないです。

前に何かがあってそれを掴もうとしているんじゃなくて、後ろにある美しさみたいなのを引っ張り出そうとしている気がします。アルバムのタイトルもそうで、日が昇って沈んでを繰り返しているような。

「リスナーやオーディエンスの反応は気にしないで制作している」とおっしゃっていましたが、今回これまででいちばん大きな規模で作品をリリースして、ご自身の作品が他人に聴かれていることについてはどう感じていますか?

YT:「誰かのために」を目的にしているわけではないけれど、作品を聴いてもらえるのは、もちろん嬉しいです。一方で恥ずかしかったり、そこに踏みこむのがまだ怖い自分もいると思います。自分が納得できる音源をつくりたいと思っていますが、制約があったり、リミッターがかかっちゃったり、100%のものが出せているかというとちがうかもしれない。自分がそれに納得できていない部分もあるけど、誰かが聴いてくれて「よかった」って言ってくれたり、いろんな意見を聞いたりすると、「これはこれでよかったのかな」、「やってよかったのかな」と思えたりもします。自分のなかに閉じ込め続けていると息ができなくなってしまいそうになるから。少し換気できるかな。

先日のライヴで共演された穂ノ佳さんも、downtのファンなんですよね。

YT:穂ノ佳が「好きです」って話しかけてくれて、そこからの縁です。私も穂ノ佳の音源を聴いて「好き!」ってすぐに感じました。トキメキを覚えています。だから、そういうアーティストと一緒にライヴができて嬉しかったし、とてもしあわせでした。やっている音楽は全然ちがうかもしれないですけど、第六感的なものが動いていたような気はしました……。

過去の富樫さんを葬って東京でゼロからリスタートし、バンドをはじめて、その穂ノ佳さんや、くだらない1日のような仲間も増えたと思います。ご自身にとって急激な変化だったのではないでしょうか?

YT:ライヴハウスに行けば知っている人がいっぱいいるし、「これってどこまでが友だちなの?」って最初は思っちゃいました。人との関わりがものすごい勢いで増えていくことを一度に処理しきれない自分がいて――昔の性格を引きずっているんだと思うんですけど。急激な変化に追いつけなかった自分がいて、いまも追いつけているわけじゃないし、不器用な部分がいっぱいあるんです。変化が激しくなって、それに追いつこうとすればするほど、より家にひきこもりたがる自分がいて。でも最近はそんなこともなく、人ともっと話そうと思ったりしています。それこそ、昔はほぼありえなかったけど自分から誘ってみる、とか。

ただ、このアルバムを聴いていても思うのですが、孤独感や閉塞感は富樫さんやdowntの表現に通底してあると思うんですよ。それこそが作家性や個性でもあるのですが。

YT:ちっちゃいときからそうなんだと思います。怖いものを排除したがるというか、シャッターを下ろしちゃう性格なので。好奇心はあるけど傷つきたくないから触れられなくて、「傷つくぐらいだったら」とシャッターを下ろしてしまう。そういう性格を形成してきちゃったので、たぶんそれは変わらない。自分はそこで止まっちゃってるんです。ずっとさみしいですし。ずっとさみしいのに、そこに帰っていく自分がいる。

その部分が創作のモチベーションやベースになっていると思いますか?

YT:ベースにはなっていますね、確実に。埋まらないものをずっと埋めようとしているというか。モチベーションは季節を感じつづけることです。

アルバムの構成の話を先ほどしましたが、“mizu ni naru” や “111511” のような初期の曲が中盤から後半にかけて配置されている流れは、バンドのスタート地点に戻っていくように感じられるんです。新しい曲が前半にあるのですが、そこから富樫さんが生き直しをはじめた古い曲がある場所にだんだん戻っていく構成というか。

YT:たぶん、前に何かがあってそれを掴もうとしているんじゃなくて、後ろにある美しさみたいなのを引っ張り出そうとしている気がします。アルバムのタイトルもそうで、日が昇って沈んでを繰り返しているような。
 私はずっとそこにいたいんでしょうね。“13月” という曲もそうで、ずっと居心地のよい場所にいたい、それが続けばいいなって思ってる。身体で感じる時間軸のなかでは不可能なものでも、空想をできるだけ輪郭のあるものに再現することによって可能になるというか。たぶん、そういう居場所を自分でつくりあげようとしているのかもしれないです。そこからちょっとはみ出るとき、前に進もうとするときもあるけど、結局元に戻っていくんだなって。

まさにループしている作品だと思いました。前半の方が暗くて後半の方が明るく感じられるので、夜明けに向かっていくんだけど、冒頭の暗闇にまた戻っていくループ感があります。

YT:ちょっと明るくなりかけるんだけど、やっぱり暗いとこが好きなんじゃない? みたいな。元いた場所に引っ張られていく感じですね。

そういえば、「笑うのが苦手だったけど、バンドを始めてから笑うようになった」ともおっしゃっていましたよね。

YT:昔はほんとに笑えませんでした。誰かを見て、「何が面白くてこの人は笑っているんだろう?」とか考えたり――以前の自分が本当に怖いんですけど(笑)。いまはみんなに笑っていてほしいし、自分も笑いたいし、みんなが笑顔になる話を聞くのが好きです。以前と比べてすごく明るくなったと思います。「大丈夫?」って心配されるぐらい暗かったし、子どもの頃は変な漫画を描いていたし……。音楽をはじめて、ほんとに変わりました。いまは楽しいです。

ギアがローに突然変わってめちゃくちゃ暗い方にいく、そういう表現に向かう可能性もありますか?

YT:全然あります。つねにそうやってもがきながら生きているので。

闇落ちしたdowntの音楽も聴いてみたいですね(笑)。本日はありがとうございました。

 

interview with Keiji Haino - ele-king

 灰野敬二さん(以下、敬称略)の伝記本執筆のためにおこなってきたインタヴューの中から、編集前の素の対話を公開するシリーズの3回目。今回は、灰野の初の電子音楽作品『天乃川』についての回想。『天乃川』は宇川直宏が主宰するインディ・レーベル〈Mom'n'DaD〉から93年にリリースされたソロ・アルバムだが、実際に録音されたのは73年だった。流行とは無関係のあの特異な作品がどのようにして作られたのか、そして制作から20年の時を経て世に出るまでの経緯について、語ってもらった。

宇川くんの〈Mom'n'DaD〉から出た『天乃川』は73年のライヴ音源ですよね。


『天乃川』

灰野敬二(以下、灰野):ロスト・アラーフがまだぎりぎり続いていた頃、京都でやったソロ・ライヴの記録だね。機材を全部一人で持って行って大変だった。昔は両方の手でそれぞれ20キロずつの荷物を現場まで持っていってたからね。ある時なんか、右の肩にサックスをかけ、背中にチェロを背負い、旧式の重いテープ・エコーなどエフェクター類とギターを手に持って移動したこともあった。

京都でやった経緯は?

灰野:確か、ダムハウス(本シリーズ第1回で紹介)で知り合った後、何度か連絡を取り合っていた人からのお誘いだったと思う。当時はジャズやブルースにどっぷりだっけど、エレクトロニクスに対する興味も強まっており、どうせだったらそれでやってみようと思ったんだ。

音を聴いただけではわからないんですが、どういう機材を使ったんですか?

灰野:実は、メインの楽器は生のアップライトピアノなの。ものすごく速い演奏をしているし、しかもディレイをかなり深くかけているから、ちょっと聴いただけではわからないと思うけど、よーく聴くと、ちゃんとピアノの音が聴こえるはずだよ。で、そのピアノの音を電子的に変調させている。ピアノの中に仕込んだ1本のマイクでは、ファズ、ファズワウ、エコー・チェンバーをかけて音をループ状にして出し、もう1本のマイクではエレクトリック・ハーモニック社のシーケンサー・アナライザーを使ってピッチを変化させた。あと、電子オルガンの基盤部分を発信機として使っているし、ヴォイスとコブラの笛(プーンギ)とリズム・マシーンの音も重ねている。
 コブラの笛からはダブル・リード付きの管が2本出ているんだけど、その1本のリードは自分でリードを削って音色を変えていた。リズム・マシーンは、昔のすごくシンプルというかチープなやつね。それのシンバルのボタンをガムテープで固定して、ずっと高速でオンにしたままでテープ・エコーをかけている。
 エレクトリック・ハーモニック社のシーケンサー・アナライザーは当時、ロスト・アラーフにちょっとだけ在籍していたベイシストに教えてもらったもので、画期的な機材だった。今中古で買うと、かなりするんじゃないかな。コントロールするのが難しいから、使っている人は当時もほとんどいなかったけど、ゴングの初期のアルバムなどでは使われてるよ。


『天乃川』

かなり手のこんだパフォーマンスだったんですね。

灰野:うん、自宅でかなり時間をかけて準備して、ライヴに臨んだからね。だんだん思い出してきた……マイクは少なくとも3本あったはず。歌っている時、なぜか足も使っていた。身体全部でやった記憶がある。もしかしたら、リズム・マシーンのガムテープがはがれないように、ずっと足で押さえつけていたのかもしれない。だから、すごくカッコ悪い体勢で演奏していたと思う。あの頃、エレクトロニクスにもっと本格的に取り組んでいたらミキサーを買ってたと思うけど、まだそこまでは行ってなかったし、なにしろ高価で、個人で宅録に使えるような手頃なものはまだなかった。だから今でも残念なんだけど、エコーのかかっていない楽器もあったんだ。もしミキサーを使って、エフェクターを全部かませていたら、音色も統一できただろうに。でも反対に、音色がばらついていたから、妙に生々しい音になったんだとも思うけどね。

非常に独創的なサウンドですよね。これが73年のソロ・ライヴの音だとは思えない。今聴いても、刺激的です。

灰野:オーレン・アンバーチも、「一体どうやってあのサウンドは作ったんだ。うちで出したい」と言って、2016年にはLPで再発してくれた。

その時のお客はどれくらいいたんですか?

灰野:10人もいなかったと思う。その企画した友達が集客してくれたから、きっと大半が彼の知り合いだったんじゃないかな。


『天乃川』で使用した電子オルガンの基盤部分

そもそもなぜ、エレクトロニクスへの興味が強まったんでしょう。何かきっかけがあったんですか? 

灰野:それはよく憶えていないんだけど…たぶん楽器屋のセールで安い機材を買ったことだったんじゃないかな。リズム・ボックスとか。

レコードは? タンジェリン・ドリームなどジャーマン・ロックとか。

灰野:その可能性もあるね。3作目の『Zeit』(72年)とか4作目『Atem』(73年) あたりは聴いていたし。あるいはシュトックハウゼンなどの現代音楽系の電子音楽とか。当時からロックだろうが現代音楽だろうが、自分の知らないものは区別なく関心を持って聴いていたからね。キーボードを入手したのは、テリー・ライリーがきっかけだった気もするな。BYG盤のGerm, Terry Riley, Pierre Mariétan『Keyboard Study 2 / Initiative 1 (+ Systèmes)』(70年) ね。当時、テリー・ライリーのアルバムで日本で手軽に入手できるのはあれしかなかった。もっとも、あのアルバムからは特に影響は受けなかったし、あまり興味もなかったけどね。

未発表音源をまとめた4枚組ボックス『魂の純愛』(95年)にも、70年代の宅録エレクトロニクス作品が収録されてましたよね。

灰野:そう、あの音源の方が『天乃川』よりも半年ぐらい前なんだ。だから、あれが俺の電子音楽の原点だね。『魂の純愛』に入っているエレクトロニクス作品を作った時は、入力レヴェルが大きすぎた上に、エフェクター類をむちゃくちゃぶち込んじゃったのでテープ・レコーダーが壊れたんだった。当時はレッド・ゾーンなんて知ったこっちゃなかったし。自宅で多重録音をやり始めたのは、そのちょっと前だったから、72年頃かな。『魂の純愛』には、クラリネットとヴァイオリンの多重録音曲も入っているし。あの頃は、発信機やテレコでどういうことができるのか、いろいろ実験していた。


『魂の純愛』

そのテープ・レコーダーというのは、カセット?

灰野:いや、もちろん家庭用のオープン・リール・レコーダーだよ。録音した音をスピーカーから流しながら、演奏を重ねていく。途中でテープ走行がおかしくなったりテープがよじれたりすると止めて、ピンチローラーを洗浄したりと、かなり大変な作業だった。だから逆に、今のエレクトロニクス機材は嫌いなんだよ。苦労しないで、簡単に音を作れるから。とは言っても、テープの切り貼りまではやらなかったけどね。あの頃もし、ロック・バンドはやーめた、となってたら本格的にエレクトロニクス音楽やっていたかもしれないね。

カセット・テープのマルチ・トラック・レコーダーを手軽に買えるようになったのは70年代末期でしたよね。

灰野:そうだね。その頃、俺も買って1年ぐらい使ってたけど、レヴェル調整とかがすごくストレスなので、すぐに使うのを止めた。ああいう作業は、俺にとってはロックじゃないし、何よりも、あの安易さが嫌だった。

『天乃川』のソロ・ライヴも、オープン・リール・レコーダーで録音したんですか?

灰野:いや、カセットだよ。70年代の半ばに一度、そのカセットを間章さんに預けたことがあった。彼がヨーロッパに行くので、何かチャンスがあるかもしれないと思って。で、彼がロンドンのヴァージン・レコード本社に行った時、たまたまクラウス・シュルツェに会ったので、そのカセットを彼に聴かせたら、ものすごく関心を持ったそうだ。彼曰く「青ざめていた」と(笑)。でも間さんはなにしろ話を盛る人だったし、ヨーロッパ滞在中にそのカセットを紛失しちゃったんだ。だから、俺の怒りをなだめるためにそんなお世辞を言ったのかもしれない。

当時は間章さんとかなり親密なつきあいだったんですよね。

灰野:そうだね。73~74年は俺はヨガに熱心で、人と会うことはほとんどなかった。それこそ、よく会っていたのは間さんぐらいだった。彼との会話は面白かったからね。月に1~2回は会っていたんじゃないかな。いつも渋谷の名曲喫茶「らんぶる」で。そういう時に、これを誰かに聴いてほしいと言って『天乃川』のカセットを渡したんだったと思う。

では、結局93年に〈Mom'n'DaD〉から『天乃川』を出す時は、音源はどこから調達したんですか?

灰野:紆余曲折あってね……間さんが無くしたと思っていたカセットは、ちょっと後に、カバンの底にあったと言って返してくれたんだけど、その後、今度は俺がフランスで盗まれたんだ。92年5月末から7月頭にかけてヨーロッパでライヴ・ツアーをやり、フランスではクリストフ・シャルルが仕切ってくれた。ヨーロッパでも関係者に聴かせたいと思って、俺はそのカセットを持って行ってたんだけど、それが入った荷物をニースで盗まれたの。8個あった荷物を全部。警察にも届けたけど、窃盗集団の仕業なので、もう出てこないと言われた。現金とパスポートだけは身につけていたから帰国できたんだけど。
 だから、その時点でマスター音源のカセットは永遠に消えたわけ。でも、その10年ほど前に、ピナコテカで1stソロ・アルバム『わたしだけ?』を作る時、ピナコテカの佐藤隆史くんが『天乃川』のカセット音源をオープン・リールにダビングしてくれたんだよ。ピナコテカから出すアルバムの候補として、最初に俺が『天乃川』を提案していたから。そのテープを佐藤くんがちゃんと保管してくれていたから、〈Mom'n'DaD〉で出せたの。

〈Mom'n'DaD〉の宇川くんには、灰野さんからアプロウチしたんですか?

灰野:いや、〈Mom'n'DaD〉からハナタラシ(92年) やマジカル・パワー・マコ(93年) が出た少し後、突然彼が「ファンです」と会いに来た。そして「灰野さん、何か出しましょうよ」と。始めは、ロスト・アラーフの〈幻野祭〉での完全版を出そうと思ったんだけど、当時俺の手元にあった〈幻野祭〉のライヴ音源は状態がイマイチで、迫力に欠けた。で、この音源のことを思い出して彼に聴かせたら「これです!」と一発で気に入った。

『天乃川』というタイトルは宇川くんがつけたんですか?

灰野:あれは作った当時から俺がつけていたものだよ。真っ暗な中にキラキラしたものが流れている感じがするから。面白いことに天の川って宇宙の川で、宇川も宇宙の川なんだよね。偶然だけど。そういう意味でも〈Mom'n'DaD〉にふさわしい。

間さんに渡し、ピナコテカの佐藤さんにも提案し、宇川くんにも聴かせたということは、灰野さん自身、この音源には20年間ずっと強い愛着があったわけですよね?

灰野:もちろん。自信作だったし、思い入れも強かった。俺は元々、レコードを作ることは好きじゃなかった。音楽は一瞬で消えるものだと言いながらもレコードを作るってのは矛盾していると思っていたから。でも、あれ(『天乃川』)だったらいいんじゃないかという気持ちが最初からあった。あと、『天乃川』があったからこそ最初の『わたしだけ?』も納得いくまで時間をかけて完成させられたのかもしれない。実際、『わたしだけ?』はジャケット写真の件で写真家の佐藤ジンさんと揉めにもめて、リリースも1年近く延び、もうやめようかなという状況にもなったしね。そういう時にも、『天乃川』が心の支えになっていたんだよ。

そういう自信作だったにもかかわらず、エレクトロニクスでの作業は、その後長いこと途絶えましたね。

灰野:ある意味、『天乃川』はフィニッシュだったんだよ。自分の中でのエレクトロニク・ミュージックとしては。近年、俺はエア・シンセを使っているけど、あれは形態の違うデジタル・サウンドだしね。センサーを使って音を出すなんて70年代当時は考えもしなかった。テルミンもオンド・マルトノも、ものすごく高価だったし。当時もしそういう楽器が手軽に入手できていたら、真っ先にやっていたかもしれないね。
 あと、『天乃川』の後エレクトロニクスを使わなくなった背景には、ヤニス・クセナキスの存在があるの。70年代に彼の電子音楽作品をいろいろ聴いて、電子音楽はもうこれでいいんじゃない? という思いが強まった。特に『ペルセポリス』は圧巻だよね。ついでに言うと、72年にEL&Pの初来日公演を観てがっかりしたこともちょっと関係あるかな。その時、キース・エマーソンはすごく高価で巨大なシンセサイザーを使っていたんだけど、そのシンセから出てくるのはピョ~ンピョ~ンみたいな、俺にとってはつまらない音ばかりで、あきれちゃったんだよね。


『わたしだけ?』
米Black Editions からの2017年再発LP

interview with Sofia Kourtesis - ele-king

 パンデミックを乗り越えて Outlier(アウトライアー)がようやく日本にやってくる。2020年4月に日本での初開催が予定されていたものの入国制限により中止となってしまったため、今回が本邦初である。ボノボ自身は、2022年フジロック、2023年東京大阪 2 days で来日しているが、通常の予測範囲からずれた測定値を示す「外れ値」をタイトルにいただくパーティでの登場に期待せずにはいられない。日本初の Outlier に登場するのはボノボに加えて、初来日となるケリー・リー・オーウェンス、そして今回インタヴューをする機会を得られたソフィア・コルテシス。
 各メディアから絶賛されたアルバム『Madres』が素晴らしい作品であったことに異論はないだろうが、かくいう筆者も紙版『ele-king』2023年間ベスト企画のハウス編でセレクトした。DJコーツェやアクセル・ボーマンといったプロデューサーたちがおこなってきたメランコリックでサイケデリックなハウスやテクノを受け取りながら、独自のエッセンスで捉え直したハウス・アルバムだと思う(インタヴュー中でも触れられているが、DJコーツェが彼女のヒーローだそう)。
 自身のルーツである南米ペルーの民族音楽や大衆音楽からの影響、政治的なスタンスを音楽に持ち込む姿勢、そして、彼女の家族に起きたとても困難な状況とそこからの回復といった様々な要素が『Madres』のなかに収められていることも重要なポイントだ。
 父との死別と母の罹患、絶望的な大病と奇跡のような名医との出会い、手術の成功という喜び。『Madres』がダンス・ミュージックの機能性を高いレヴェルで保ちながら、刹那的エモーショナルとは異なる、複雑で豊かな感情が音色やメロディから伝わってくるのはそういった幾層ものレイヤーが彼女自身に備わっているからかもしれない。
 このインタヴューでは、ボノボやケリー・リー・オーウェンス、Outlier をどのように捉えているか、また DJやパーティについての考え方、そしてアルバムの成功とそれに伴った環境の変化などについて質問をおこなった。

ボノボは私のヒーロー! Outlier では彼のキュレーターのスキルがすごくユニークで、ラインナップには私が大好きなアーティスト勢がいつも揃っている。

アルバム『Madres』が成功を収めたことでDJスケジュールが忙しくなったりなど、環境の変化はありますか?

ソフィア・コルテシス(Sofia Kourtesis、以下SK):ええ。ライヴ本数が増えて、世界中を旅するようになり、ライヴ会場が以前より大きくなった。いちばん嬉しいのは、アーティスト活動と並行してやっていた仕事を辞めたこと! いまはラッキーなことに、私の音楽パートナーでもあるボーイフレンドと音楽制作に専念することができて嬉しい。家族との時間を持てるようにもなって、本当に良かった。

辞めた仕事はクラブ・ブッキングの仕事ですか?

SK:うん。ドイツにあるクラブでブッキング担当をしていた。自分が好きなバンドをブッキングできて楽しかったけど、深い時間までの仕事だから、かなりハードな仕事でね。だから、デビュー後は徐々にそのブッキング仕事は減らしていって。

これまであなたがパフォーマンスをおこなった国や都市、パーティやフェスなど印象に残っているものがあれば教えて下さい。

SK:グラストンベリー・フェスティヴァルでのライヴ・セットは、いつも最高ね。私はギリシャ人とペルー人のハーフなんだけど、グラストンベリーに出演した初のペルー人だった! バルセロナで開催されたプリマヴェーラ(Primavera)では皆がシンガロングしてくれて、ホント楽しかった! それから、ベルリンのクラブ、ベルクハイン(Berghain)でのパーティは、これまでプレイしたなかでベスト・ショウのひとつだった。

ボノボのDJや彼がキュレートする Outlier、ケリー・リー・オーウェンスなど出演者についてどのようなイメージを持っていますか?

SK:ボノボは私のヒーロー! 初めて会ったのはオーストラリアで開催されたフェスだったかな。音楽スタイルが似ていることもあり、それ以降何度か同じステージでプレイすることが増えた。人間的にも素晴らしいし、彼のライヴ・セットに参加することもあって。逆に、ボノボが私のステージに参加することもある。
 Outlier では彼のキュレーターのスキルがすごくユニークで、ラインナップには私が大好きなアーティスト勢がいつも揃っている。前回の Outlier では、DJコーツェが参加していて、彼も私にとってはヒーロー的存在! ケリー・リー・オーウェンスも大好きなDJだから、間違いなく楽しい夜になるはず!

インターネット上で確認できるあなたのプレイを聴きました。新しくなるにつれて、スタイルが変化していっていると感じました。また、ミックスのなかでフックが毎回仕込まれているのも印象的です。野暮な質問なのですが、今回の Outlier ではどのようなパフォーマンスをおこなうか考えがあったりしますか?

SK:日本は勤勉な人が多くて、街のペースが速いから……ベース音を効かせた、テンポの速い、エネルギッシュなセットになる予定。それから、私の新曲を披露するから楽しみにしててね!

辞めてしまったとはいえ、ブッカーの経験も豊かだと思いますが、自身でイベントやパーティをはじめることに興味はありますか? また、共演してみたいアーティストがいれば教えて下さい。

SK:ぜひやってみたいけど、いまのところ企画する予定はナシ。というのも、今夏に新作を発表予定で、現在は自分の作品制作の方に専念しているから。でも、今年の年末にロンドンのフォノックス(Phonox)で初のレジデンシーが決定していて。共演してみたいのは、エルッカ(Elkka)。彼女のDJスタイルは私と似ているから、またぜひバック・トゥ・バックで組んでみたい。

ベース音を効かせた、テンポの速い、エネルギッシュなセットになる予定。それから、私の新曲を披露するから楽しみにしててね!

アルバム『Madres』について質問をさせてください。タイトル曲である “Madres” をはじめ、全体にポジティヴさや優しさのようなものを感じました。本作をつくることで、セルフケアをおこなう意図もあったのでしょうか?

SK:そうね。いつもメンタル面には気を使っている。『Madres』の曲作りで自分の気持ちを表現する上でときどき迷うことがあったから、精神的に不安になったときはセラピストの所に通っていた。自分のメンタル・ヘルス面に気を配ることはとても大切。

あなたの曲はどれもメロディが印象的ですが、ビートについても興味深く感じました。楽曲を作る際のドラムやベースラインに対する考え方があれば教えていただけますか?

SK:それは、曲の雰囲気による。たとえば、メロウな曲のときはあえてベルリン・テクノやハウス寄りにしないこともある。 曲の雰囲気によって、はじまりから終わりまでの楽曲展開を決めていくから。

アルバム制作時にカリブーフォー・テットに相談したそうですが、彼らはどのようなアドヴァイスをしたのでしょうか?

SK:いいバラードを50%、エネルギッシュなクラブ・バンガーを50%制作することを教えてくれた。私もそのとおりだと思うし、重要な点ね。

そのアドヴァイスは、カリブーとフォー・テットふたりとも?

SK:うん。ふたりともとても協力的で、アーティストが自分の能力を信じるようにモチヴェーションを上げてくれる。前進できるように、いつも励ましてくれるよ。

ホモフォビアに対しての抗議活動のフィールド・レコーディング、マヌ・チャオをフィーチャーした “Estación Esperanza” など、アクティヴィストとしてのあなたも作品で表現されています。戦争や紛争など、現在の世界における困難な問題について、あなたの意見はどのようなものでしょうか?

SK:活動を通して学んだ最も重要なことのひとつは、独りよがりの人が多いこと。だから、教育が非常に重要ね。特に、私たちより前の世代は、心を開いて、自分とは異なる考え方を学ぶべきだと思う。恐怖心や宗教は、ときとして最悪の敵のようになり得るから。きちんと学び、恐れを捨てて、よりオープンで、他者を理解する優しさを持つべきだと思う。いま、紛争の酷い状況を見ても、考え方が昔に逆戻りしていて、恐ろしい。正しいことを見つけ、すべてを止めようとするために、もっとオープンに話し合い、各自が学んでいく「変化」が必要ね。いま起きていることは、一歩前進するどころか後退していて……、クレイジーだと思う。

最後の質問です。今後のリリース作品や予定など教えていただけますか?

SK:2週間後に(今夏リリースの)新作が完成予定。タイトルはまだ決まっていないけど、ほぼ完成した。コミュニティへの恩返しのようなもので、音楽を中心に私たちを結びつける愛が題材。懸命に戦っている若い世代……各自が置かれたコミュニティで勇敢に立ち向かうヒーローたちに贈るアルバム。いいアルバムになると自負しているよ。

音楽的にはバラードが50%、クラブ・バンガーが50%という割合ですか? その他、今後の予定は?

SK:うん、そのとおり。今後の予定としては、日本での Outlier 出演後にグラストンベリー、プリマヴェーラやロスキレ(Roskilde)などのフェスが予定されている。

今日は、ありがとうございました。新作を聴くこと、あなたのプレイで踊ることを楽しみにしています。

SK:こちらこそ、どうもありがとう! 初来日は2009年か2010年あたりだったと思うけど、それ以降2013年までは毎年日本へ行ってて。大好きな国だから、久しぶりに日本の皆に会えるのが待ちきれない!

BONOBO主催のクラブイベント
『OUTLIER (アウトライアー)』
いよいよ来週に迫る

●気になるタイムテーブルを発表!
●当日券情報発表!
●会場限定グッズのデザイン公開!
本日よりオンライン受注受付もスタート!

アーティスト/プロデューサーとしてグラミー賞に7度ノミネートされるなど、絶大なる人気を獲得しているボノボが主宰する世界的クラブイベント、OUTLIER(アウトライアー)。主宰BONOBO(ボノボ)に加え、海外からはいずれも初来日となるKELLY LEE OWENS(ケリー・リー・オーウェンス)、SOFIA KOURTESIS(ソフィア・コルテシス)が参戦。さらに真鍋大度、食品まつり a.k.a foodman、TRAKS BOYS、SEIHO、KATIMI AI、FRANKIE $など、エキサイティングなラインナップが集結。さらにはグラフィックデザイナー/アートディレクター、YOSHIROTTENが本公演の為に特別な映像作品を制作し参加することも決定している。

会場はO-EAST~DUO~東間屋とエリアを拡張し、豪華ラインナップを配し複数ステージ同時進行で開催される他、ナチュラルワインをメインに取り扱うNEWVALLEYが厳選したナチュラルワインとおつまみを、季節の野菜を使ったフードケータリングで人気のTORATOMICANが提供するヘルシーで美味しいバインミーサンドなどを、東間屋では気の利いたお酒も味わえる。またNEWVALLEYは朝方に人気の自家焙煎コーヒーとモーニングメニューも提供する。音楽、アート、フード&ドリンクまで、とにかく朝まで楽しめるオールナイト・パーティーとなる。

イベント開催がいよいよ来週に迫り、気になるタイムテーブルとフロアマップ、会場限定Tシャツ、当日券情報を発表! Tシャツは日本限定のデザインとなり2色展開となる。本日よりBEATINKオフィシャルサイトにて、オンライン受注受付もスタート(締切は5月26日)。


https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14085


https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14086

BONOBO PRESENTS
OUTLIER

FEATURING:
BONOBO (DJ SET)
KELLY LEE OWENS (DJ SET)
SOFIA KOURTESIS (DJ SET)
DAITO MANABE
食品まつり a.k.a FOODMAN
FRANKIE $
KATIMI AI
SEIHO
TRAKS BOYS
YOSHIROTTEN (Video Art)

VJs (at DUO):
Kazufumi Shibuya, Sogen Handa,
Yuma Matsuoka, Yuta Okuyama, 91u5

FOOD&DRINK:
NEWVALLEY (Natural wine & Food)
TORATOMICAN (Food)

公演日:2024年5月18日(土)
会場:O-EAST + DUO + AZUMAYA
OPEN/START:21:00 (オールナイト公演)
前売:¥7,200(税込)
当日券:¥8,000 (21:00より販売)
※整理番号無し
※入場時に別途1ドリンク代 ¥700
※20歳未満入場不可。入場時にIDチェック有り。必ず写真付き身分証をご持参ください。

INFO: BEATINK [ www.beatink.com] / info@beatink.com
主催・企画制作:BEATINK / SHIBUYA TELEVISION

[TICKETS]
●イープラス [ https://eplus.jp/outlier/]
●ローソンチケット[ https://l-tike.com/outlier/]
●BEATINK [ https://beatink.zaiko.io/e/outliertokyo/]

店頭販売:
●HMV record shop 渋谷
●Lighthouse Records
●ディスクユニオン渋谷クラブミュージックショップ
●ディスクユニオン下北沢クラブミュージックショップ
●ディスクユニオン新宿ソウル・ダンスミュージックショップ

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OUTLIERキャンペーン
OUTLIERの日本初上陸を記念して、4月26日より出演者の人気タイトルを対象にしたキャンペーンの開催中! 期間中にキャンペーン開催店舗にて対象商品を購入すると先着特典として『OUTLIER』ステッカーをプレゼント! ロンドンの大型会場Drumshedsにて開催された『OUTLIER』ロンドン公演にて販売されたOUTLIER Tシャツが発売が購入できる。


【Tシャツ取扱い店舗】
タワーレコード渋谷店 / HMV record shop渋谷店 / ディスクユニオン渋谷クラブミュージックショップ
上記店補ではOUTLIERトートやポスターなどが当たる店頭抽選も実施中!

【キャンペーン詳細】
キャンぺーン開催店舗にて対象商品をご購入いただくと先着で特典ステッカーをプレゼント!
キャンペーン詳細はこちら↓
BEATINK.COM / BONOBO PRESENTS OUTLIER TOKYO
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13934

Kamasi Washington - ele-king

 1960年代のジョン・コルトレーン、1970年代のファラオ・サンダースと、ジャズ・サックスの巨星たちの系譜を受け継ぐカマシ・ワシントン。もはや21世紀の最重要サックス奏者へと上り詰めた感のあるカマシは、2015年の『The Epic』で我々の前に鮮烈な印象を残し、2018年の『Heaven and Earth』で今後も朽ちることのない金字塔を打ち立てた。しかし、『Heaven and Earth』以降はしばらく作品が止まってしまう。もちろん音楽活動はおこなっていて、2020年にミシェル・オバマのドキュメンタリー映画『Becoming』のサントラを担当し、ロバート・グラスパー、テラス・マーティン、ナインス・ワンダーと組んだプロジェクトのディナー・パーティーで2枚のアルバムを作り、2021年にはメタリカのカヴァー・プロジェクトであるメタリカ・ブラックリストに参加して “My Friend of Misery” をカヴァーするなど、いろいろな試みをやっている。しかし、自身の作品やアルバムのリリースは止まってしまっていて、もちろん音楽活動そのものはずっと継続しているものの、気づけば『Heaven and Earth』から6年が経っている。

 この間にはコロナのパンデミックでいろいろな活動が制限される時期があり、自身の私生活での変化など、さまざまなこともあった。そうした私生活の変化のひとつに、パンデミックのさなかに娘が誕生したことがある。パンデミックの中で子育てをするという経験は、カマシにこれまでになかった視点をもたらし、新たなスタートを切るきっかけにもなった。そうして誕生したニュー・アルバムが『Fealess Movement』である。『Fealess Movement』というアルバム・タイトルは、パンデミックがもたらした世界的な混乱や恐怖と無関係ではないだろう。そうした恐怖に対して勇気をもって立ち向かうことを暗示するタイトルだ。「前に進むためには、手放すことを厭わないこと、恐れを知らないことを選択することが必要なんだ。恐怖にしがみついていたら、前に進むことはできないからね。自分の不安を全て捨て、動き、ただ音楽に身を任せる。アルバム・タイトルには、そういう意味が込められているんだ。アルバムのテーマは様々で、曲それぞれが意味を持っている。でも全体的には、これまでの作品よりももっと、身近な日常や自分の周りの人々とのつながりに焦点が当てられていると思う」

 『Heaven and Earth』は天と地になぞった社会における理想と現実の差異を映し出したもので、宇宙的なテーマと実存的な概念に基づく中で、人種差別の問題、世の中におけるさまざまな不平等なども投影されていた。一方で『Fearless Movement』は日常的なもの、すなわち地球上の生活を探求することに焦点を当てている。そうした日常のひとつに娘との生活がある。アルバム・ジャケットにも映っている幼女がその娘で、名前はアシャというそうだが、彼女が生まれたことによってカマシ自身も変化していった。「世界全体を見る視点が変わったんだ。彼女の視点から世界を見て、物事を考えるようになった。父親になり、大切な存在が出来たことで、僕を奥へ奥へと導き、自分を見つめ直させてくれた。彼女の視点から世界を見て、物事を考えるようになったんだ。例えば、僕があまり心配しないようなことでも彼女は心配するし、彼女が恐竜に興味を持ち始めた時は、僕も恐竜好きだったのを思い出させてくれた。そうやって、人生に新しい発見、新しい視点をもたらしてくれているのが娘の存在なんだ」。アルバム2曲目の “Asha The First” は、アシャがピアノをおもちゃのように遊びながら初めて弾いていたとき、そのメロディを元に書かれたものだ。

 もうひとつ、『Fearless Movement』にこめられたキーワードにダンスがある。カマシ自身はこのアルバムを「ダンス・アルバム」と呼ぶ。実際に収録曲の “Prologue” のミュージック・ビデオには多数のダンサーたちをフィーチャーしているが、俗にいうダンス・ミュージックのアルバムということではなく、人びとの身体を動かすようなリズムを持った音楽が詰まったアルバムという意味だ。「叔母がダンサーだから、僕は子供の頃、叔母のダンス・スタジオによく行っていたんだ。その影響で、僕は表現力豊かで即興的な動きと音楽の強いコネクションを身近に見てきた。そのダンス・スタジオでは、皆がマッコイ・タイナーやジョン・コルトレーンのような音楽に合わせて踊っていたからね。だから、僕はずっと、もっと人々がそれにインスパイアされて身体を動かしたくなるような音楽を作りたいと思っていた。このアルバムのサウンドについて言葉で説明するのは難しいけれど、僕はとてもリズミカルなサウンドだと思っている。強いリズムに包まれるような、そんなサウンド。“Dream State” のようなフリー・フローの曲でさえ、リズムがたくさん盛り込まれているしね」。ダンス(舞踏)の源流を辿ると、収穫祭などで神への感謝を捧げたり、祈祷するといったころがある。ジャズという音楽はアフリカを起源とし、そのリズムにはそうした舞踏のためのものという側面もある。ジャズという音楽の舞踏という側面が、カマシの中から素直に発せられたアルバムということが言えるだろう。

 “Lesanu” という曲は2020年に亡くなったカマシの友人の名前で、そのトリビュート曲であると同時に、神への感謝の意が込められている。その友人はカマシにエチオピアの言語と聖書について教えてくれたそうで、曲の中の言葉はエチオピアの教会で使われるゲエズ語という言語で、聖歌集の一部を朗読している。古代では音楽や舞は神への捧げものであり、“Lesanu” もそうした信仰心から生まれた作品である。『The Epic』や『Heaven and Earth』でもそうした神聖なものをモチーフとした作品はあったが、『Fearless Movement』は日々の生活を通じて生まれる素直な感謝の念や感情に包まれていて、カマシの肉声に近いものが音となっている。「このアルバムは、さまざまなアイデアや、人生におけるさまざまな場所について言及している。その中でも、僕は “Lesanu” でアルバムをスタートさせたかった。なぜなら、この曲は人生に対する感謝の祈りのような曲だから。僕にとってこの曲の目的は、ただ「ありがとう」と言うことなんだ。神様、あるいは宇宙を初め、僕に今の道を与えてくれた全てへの感謝を表現した曲。僕は音楽が大好きだし、自分の人生のために音楽を作ることができていることが本当に嬉しい。その機会、そしてその機会を与えてくれている全てに僕は感謝しているんだ」。『Fearless Movement』は「ダンス・アルバム」であると同時に、「祈りのアルバム」でもある。

 アルバムにはサンダーキャット、テラス・マーティン、パトリース・クイン、ブランドン・コールマンら旧知の仲間のほか、アウトキャストのアンドレ・3000BJ・ザ・シカゴ・キッド、イングルウッドのD・スモーク、コースト・コントラのタジとラス・オースティンなど、ヒップホップやR&B系アーティストの参加が目につく。さまざまな声(アーティスト)によるさまざまな日常風景や世界を描くのが『Fearless Movement』である。「彼らはそれぞれ、異なる世界観をもたらしてくれた。僕は、それらを必要としていたんだ。例えばタジとラスは、すごく若いのに、彼らのスタイルは1990年代のヒップホップの黄金時代に繋がるものがある。僕はそれが大好きで、彼らのラップを聴いていると、僕がヒップホップを聴き始めた頃に戻ったような気分になるんだ」。
 ゲスト・アーティストそれぞれの個性を鑑み、そこに音楽的にしっくり嵌る楽曲で起用しており、単純にヒップホップ調やR&B調の楽曲を用意し、そこに無難に当て嵌めた起用とはなっていない。例えば “Dream State” にはアンドレ・3000が起用されているが、ラップではなくフルート演奏で参加している。昨年彼がリリースしたアルバム『New Blue Sun』のようなアンビエントやニュー・エイジ的な作品となっている。「僕は以前、アンドレ・3000のためにレコーディングしたことがあって、その時に彼が、何か自分にできることがあれば言ってくれ、と言ってくれたんだ。で、彼にもちろん参加してもらいたいと思ったけど、具体的に何をしてもらおうかはわからないまま数曲用意していたんだけど、彼がスタジオに来た時、フルートを持ってきてさ(笑)それを彼が吹き始めたんだけど、その瞬間、レコーディングした曲のことは忘れようと思った(笑)そのフルートを使って、一から新しい曲を作ろうと思ったんだ。だから、あの曲はそのフルートを使って即興で出来たものなんだよ。それに合わせて皆でプレイして、その瞬間で出来上がった曲なんだ」。ある意味、もっともジャズ的な即興音楽である。

 “Get Lit” にフィーチャーしたD・スモークに関しては、ラッパーでありながらも音楽的だから彼を起用したということだ。「“Get Lit” はすごく音楽的で、あの曲にラップが欲しいと思いつつも、その音楽的な部分を大事にしたかったんだ。D・スモークはピアノも弾くからその辺のセンスがあるし、ハーモニーをはじめ、ラップ以上のものをもたらしてくれた。あれはヴォーカル・パフォーマンスだったし、それはまさにあの曲が必要としていたものだったんだ」。そして、この曲にはP・ファンクの総帥であるジョージ・クリントンも参加する。近年はフライング・ロータスのフック・アップによって、ロサンゼルスの音楽シーンにおいて若い世代のファンからも身近な存在となってきているジョージ・クリントンではあるが、やはり伝説的な存在であることには変わりない。カマシにとっても今回の共演は念願が叶ったもので、カマシの音楽にファンカデリック的な世界観が見事に融合した作品となっている。「僕は、小さい頃からずっとジョージ・クリントンの大ファンなんだ。昔スヌープ・ドッグと一緒にプレイしていた頃に何度か会ったことがあって、その後も数回会う機会があったんだけど、話す機会はなかった。でも去年、彼が展覧会を開いたんだよ。僕の妹のアマニが画家で、今回のアルバムのジャケットに載っている絵を描いたのも彼女なんだけど、ジョージ・クリントンがアート・ショーをやると教えてくれてね。彼はヴィジュアル・アーティストでもあって、そっちの才能も本当に素晴らしいんだけど、そのショーで彼の作品を観て、僕は本当に驚いたし圧倒された。で、その時に、せっかくだから彼に話しかけてみて、やっと彼と話すことが出来たんだ。そして、“Get It” という彼にピッタリの曲があったから、思い切ってその曲で演奏してくれと頼んでみたら、なんと話に乗ってくれてさ。それですぐにスタジオを予約して、彼が来るのを指くわえて待ってきたら、本当に来てくれたんだ」

 『Fearless Movement』は日常的なものごとを描いていると前述したが、想像や空想もそうした日常から生まれるもので、宇宙的なモチーフの “Interstellar Peace” やSF的な “Computer Love” が非日常的な曲というわけではない。“Interstellar Peace” は盟友のブランドン・コールマンが作曲した楽曲で、日頃の彼との会話の中から広がっていった。「彼と僕は、二人とも宇宙やSFが大好きで、それについてよく話すんだ。偽りを見破り、本当の自分を見つけるためには、自分の身近にある目に見えるものを超えて、想像力を伸ばす必要がある。星間の安らぎや平穏、というのがこの曲のアイデアだった。自分の住んでいる地域、都市や国、あるいは惑星を越えた、普遍的なものを考えながら作ったのがこの曲なんだ」
 日常の中から普遍的な真理について思いを馳せた楽曲である。“Computer Love” は1980年代にクラフトワーク、ザップ、エジプシャン・ラヴァーの同名異曲があったが、カマシはこの中でザップをカヴァーしている。サップはジョージ・クリントンに見出されてPファンクの前座を務め、1980年にデビューした。ザップのリーダーであるロジャー・トラウトマンが “Computer Love” を作ったのは1985年のことだ。「ザップのこの曲を聴いた時に、この自分のヴァージョンが頭の中に聴こえたんだ。人と人とのつながりについて考えさせられたんだよ。ロジャーがこの曲を書いたのは、ある種の予言のような気がした。なぜなら、彼はあの曲で、人ではなくコンピューターを通して伝わる愛について語っているから。当時はそれが普通の状況ではなかったのに、今はそれが普通になっている。でも、現在のそのエネルギーは、彼が想像していたものとは違うんだ。コンピューターを通して、という部分は同じなんだけれど、エネルギーが違う。だから、あの歌を書きながら彼が見ていたものを、実際の今の世界のものにチューニングしたらどうなるんだろう、と思ったんだ。今、僕たちはテクノロジーによってもっと繋がることが出来ているけど、スクリーンを通してつながっていることで、実際の繋がりは薄くなっている。実際に会って繋がる、という繋がり方は減っているわけで。だから、人間らしさというものに関して考えたんだ。距離が縮まっていながら、同時に遠くもなっている。僕のヴァージョンでは、それについて描かれているんだ」。人と機械やAIの関係ではなく、現在における人間関係のあり方についての楽曲なのだ。

 『Heaven and Earth』は大がかりなオーケストレーションやコーラス隊がフィーチャーされ、ダイナミックでドラマ性に富むサウンドとなっていたが、『Fearless Movement』の楽器構成は比較的シンプルな小編成である。カマシの日常的な視点が、大がかりなものではなくコンパクトな編成、サウンドに繋がっているのだろう。「大抵の場合、僕はその曲に満足がいくまで色々と積み重ねていくような感じで曲を作っていく。そして、前回の時はそれが大きくなりオーケストレーションにつながっていったわけだけど、今回のアルバムは、曲があまりそれを必要としていなかったんだ。オーケストラ的な要素は、自分をどこか他の場所へと連れて行ってくれる。でも今回のアルバムは、その要素が要らなかった。その分、今回は他のアルバムよりもパーカッションやドラムが多いと思うね」。
 楽曲によって個々の楽器のソロが前面に出ているところもあるわけだが、特に耳につくのはロックやヘヴィ・メタル風のギター。ギターはサンダーキャットが弾く場合もあり、それ以外ではブランドン・コールマンがシンセを弾いてギター風の音色を出すこともあるそうだが、カマシ自身の “Prologue” でのサックスも、ある種ロック・コンサートにおけるギタリストのソロでの盛り上げに近いものを感じる。2021年にメタリカ・ブラックリストに参加したことも影響のひとつとなっているのだろう。「それがきっかけになったかまではわからないけど、今回はサックスでディストーションを使ったんだ。僕のアイデアで、エンジニアと一緒にいる時、なんかそれをやりたくなったんだよね。メタリカの影響も、意識まではしていないけどもしかしたらあるのかも。あのスタイルのサックスをやったのは、あの時が初めてだったから」

 この “Prologue” はアルバムの最終曲となっている。もともとはアルゼンチン・タンゴの巨匠として知られるバンドネオン奏者のアストル・ピアソラの曲だ(正式タイトルは “Prologue - Tango Apasionado”)。通常であればプロローグ(序章)はアルバムの冒頭に来るものだが、カマシは敢えてアルバムの最後にした。アルバムにある種の余韻を残すと同時に、このアルバムが何かの終わりではなく、始まりを示すものだということを暗示している。「今僕は娘がいるから、これからの世界がどんな世界であってほしい、という願望がより強くなった。多くの場合、何かの始まりは何かの終わりでもある。言い換えれば、何かが終わることで、新しい何かが始まるわけで、将来手に入れたい何かを掴むためには、今持っている何かを終え、手放す勇気が必要な時もある。僕にとってこの曲は、今あるものを手放して、次にやってくる新しい何かを掴む勇気を表現した曲なんだ」

valknee - ele-king

Good girlには程遠い けどBad bitchていうよりこっち Ordinary Vibes (“OG” より)

 広範に渡る、近年の valknee の活動をひとことで説明するのは難しい。怒りや不満を糧にヒップホップのボースティングの力を使いオルタナティヴなギャル像として打ち立ててきたスタイルがあり、それを唯一無二の粘着ヴォイスとフロウでぶちまけることで確固たる個性を築いてきた──本丸の音楽活動としてはまずそういった説明ができるだろうか。一方、パンデミック禍に女性ラッパーたちと連帯し結成した zoomgals をはじめとして、ヒップホップ・フェミニズムの文脈でも重要な役割を果たしてきた点も見逃せない。ルーツのひとつにアイドル音楽もあり、lyrical school や和田彩花から REIRIE まで(!)楽曲制作に参加することでプロデュース力も発揮している。映画『#ミトヤマネ』の音楽のディレクションもしていたし、ときには、んoon や Base Ball Bear といった面々とコラボレーションもおこなってきた。自身の作品については次第に音楽性を変化させ、ダンス・ミュージックの直線的なビート感を貪欲に取り入れるようにもなっている。世の中の旬な話題から身近なネタまで独自の切り口でトークする音声メディア「ラジオ屋さんごっこ」も界隈で人気を得ており、それだけジャンル横断的な活動を展開しながら、やはり王道のヒップホップも捨てない彼女は、昨年オーディション番組「ラップスタア誕生2023」に出演し国内ヒップホップのメインストリームに殴り込みをかけたりもした。以上のように、valknee の活動は非常に多岐に渡ってきている。だが、いつだってルーツや好きなものに忠実に立脚しながら Ordinary な自身を誇っていく姿勢は全てに共通しており、その点では、紛れもないヒップホップ精神というものが軸にある。

 となると次に、アルバム・タイトルに掲げられている「Ordinary」というタイトルが気になってくる。ここには、昨年からシーンを席巻している Awich ら「Bad Bitch 美学」のムーヴメントや、「Xtraordinary Girls」を標榜するラップ・グループ・XG の快進撃など、メインストリームで脚光を浴びる女性ラッパーの活躍に対するカウンターの視点があるのだろう。ラップの技術や、ラッパーらしさというリアリティを武器にラップ・ゲームを戦う猛者たちの中にいて、valknee は「平凡」であることを掲げて闘うが、しかしそれは戦略的には分が悪い。普通じゃないこと/非凡なことを競うのがこのゲームのルールであるからで、だからこそ、valknee は「私の平凡さこそが私のリアリティ」という点に懸け、平凡さのリアリズムを徹底的に突き詰めることで非凡さへと反転させようとする。

 そこで援用されるのが、今作で全編に渡って鳴り散らかしている、数々のハイパー・ダンス・ビート。valknee の音楽性は、あるときを境に変化した。私はそれを hirihiri 以前/以後と呼んでいるのだが、他にもピアノ男やバイレファンキかけ子、NUU$HI といったトラックメイカーの攻撃的なサウンドを導入するようになり、作品をトラップ・ミュージックからハイパーでダンサブルなビートへと変貌させていった。時期的には2021年の後半くらいからだろうか。とは言え2020年の時点で “偽バレンシアガ”の RYOKO2000 SWEET 16 BLUES mix という歪なダンス・ミュージックをリリースしており、以前からそういった性質がなかったわけではない。だが、ハイパーな要素は明らかに途中から加わったもので、valknee の賭けはまずそこにあると思う。

 所属するコミュニティも変化した。〈AVYSS Circle〉や〈もっと!バビフェス〉といったイベント/パーティに出演するようになり、インターネットとリアルを行き来しながら熱狂的に盛り上がるオルタナティヴなユース・カルチャーに身を投じていった。とりわけ、仲間とともにキュレーションを開始した Spotify プレイリスト「Alternative HipHop Japan」の存在は大きい。なかなか可視化されることのなかったシーンの動きが素早く反映されるようになったことで、どこかふわふわしていた界隈の動向に輪郭が与えられるようになった。valknee はいま、オルタナティヴなシーンにおける姉御肌的なポジションを築きつつあるのかもしれない。

 valknee はそうやってサウンドだけでなく身も心もいまのオルタナティヴなシーンにコミットする中で、その音楽性を完全に身体まで落とし込んできている。ネバネバした声と耳をつんざくダンス・ビートの、いわば鋭角×鋭角のハイカロリーな衝突が良い塩梅で融合してきており、これだけ尖っているにもかかわらず聴きやすい。KUROMAKU プロデュースの “Not For Me” では phonk のビートに難なく乗り、“SWAAAG ONLY” や “Load My Game”、“Even If” といった曲のメロディやフロウの作り方は、完全にオルタナティヴ・ヒップホップのそれである。裏を返せば、ある程度このカルチャー/音楽のマナーに沿っているとも言えるわけで、もしかするとその行儀の良さは、評価が分かれる点かもしれない。だが、むしろそういった点こそが彼女の魅力であるように思う。自分の好きなものに対して忠実であり正直であるのが valknee の美点であり、本作はオルタナティヴ・ラッパーに転身した彼女の再デビュー・アルバムのように聴こえてくる点で、これまでとは違った種類の覚悟を感じる。

 そういった『Ordinary』の中にあって、“Even If” から “Over Sea” に至る流れはいささか特異だ。先日渋谷の街を歩きながら聴いていると、valknee は声を丸くして小声でそっと語りかけるように訴えかけてきて、気づいたらほろほろと涙が流れてしまった。

ねえ!Over sea あたしのはなし/目泳がし騒がしい街並みで/全世界中いないことになってる/ペンで描いた居たことの証 ( “Over Sea” より)

 ラッパーかくあるべし、というパンチラインだ。「し(-si)」の脚韻がいつもの valknee とは違った丸い小声で反復されることによって、「しーっ(静かに!)」という意味性が立ち上がってくる。あなたにだけ伝えるね、という優しい「し」。彼女はこうも歌う。

ちっさい声が伝わる/バカなミームみたいに/誰かしらに繋がる/点が線になってる/誰か誰か!じゃない/ないならつくる/輪になんかなんないでも/You stand out飛ぶ

 誰か誰か!じゃない。ないならつくる。そうか、ないなら作る! valknee が、オルタナティヴなコミュニティに身を投じてこの何年かやってきたことが分かった気がした。点が線になる。線は輪にならないかもしれない。でも、飛ぶ。……飛ぶ?! Ordinary=平凡さは、反転するどころか、海を越えて飛んでいくらしい。なんて最高なんだろう。

 全世界中の、いないことになっている人たち。自分のことを平凡だと思っている人たち。『Ordinary』を聴いて。Ordinary Vibes を出して、遠くに飛んで。いまあんなにたくさんの若手ラッパーとコミュニティを盛り上げている valknee が、客演なしで、ひとりでこの作品を歌うことの意義。新たなリスタート。このちっさい声が伝わりますように。あなたとともに海を越えて、全世界中に。

interview with Lias Saoudi(Fat White Family) - ele-king

 ロックの本質をラディカルなものだと捉えているバンドマンは絶滅種に近い、とまでは思わない。日本からUKを見た場合、リアス・サウディやスリーフォード・モッズのような人たちはすぐに思い浮かぶけれど、まだ紹介されていないだけで、じつはほかにもいる。だから、UKロックがいよいよファッショナブルな装飾品になった、というのは早計だ。が、こんにちのロック界がラディカルなものを求めているのかどうか……ぼくにはわからない。
 ジョン・ライドンやジョー・ストラマー、あるいはポスト・パンク世代たちのインタヴューが面白かったのは、彼ら彼女らが、自分が言いたくても言えなかったことを言っていたから、という気持ちだけの話ではない。彼ら彼女らの発言には、たとえ平易な言葉であっても社会学や哲学、政治の話を聴いているかのような、知性に訴えるものもあった。リアス・サウディのインタヴューは、あの時代のUKインディ・ロックの濃密な実験が完全に消失されていなかったことを証明している。意識高い系へのウィットに富んだ反論という点では宮藤官九郎の「不適切にもほどがある」と微妙にリンクしているかも……いやいや、ファット・ホワイト・ファミリーのリスナーの大部分は昭和など知らない、ずっと若い世代です。
 とまれ、ファット・ホワイト・ファミリーが5年ぶりの4枚目のアルバムをリリースするまでのあいだ、バンドの評判が母国において上がっているとしたら、ベストセラーとなった共著『1万の謝罪』の効果もあろう。が、音楽シーンにおける難民となっている彼らだから見えている光景を、人はもうこれ以上、目を逸らすことができなくなってきているという状況があるとぼくはにらんでいる。この、いかんともしがたいダークな事態が続くなか、風穴をあけんとジタバタし、破れかぶれにもなり、じつを言えばなんとしてでもロックンロールを終わらせたくない男=リアス・サウディへの共感は、スマートではないからこそさらに熱を帯びることだろう。彼にはいま、作家としての道も開けているそうだが、ぼくとしては、ひとりでも多くの日本人がファット・ホワイト・ファミリーの音楽を聴いてくれることを願うばかりだ。


中央にいるのが、取材に応えてくれたリアス・サウンディ

テイラー・スウィフトを聴く方が、あの手のバンドを聴くよりも「侮辱された」って気にならないだろうな。例の「ポスト・ポスト・ポスト・ポスト・パンク」バンドの手合いね。生真面目で、時機に即した正義感あふれる歌詞、たとえば「自分たちはどれだけ移民を愛してるか」だの、ジェンダー問題云々、まあなんであれ、そのときそのときでホットな話題を取りあげる連中。

素晴らしい新作だと思いました。

Lias Saoudi(LS):オーケイ。

この時代のムード、とくにやるせなさや空しさをひしひしと感じました。

LS:うん。

最初にアルバムを通して聴いたとき、いちばん心にひっかかったのは、“Religion For One”でした。ぼくは英語の聞き取りのできない日本人なので、頼りはサウンドだけです。その次が“Today You Become Man”で、これが気になったのはサウンドと曲名です。ほかの曲も好きですが、この2曲から感じた、恐怖、混乱、倒錯的な快楽、目眩、空しさ、これらはこのアルバムのなかで重要な意味をなしているように思いました。この感想についての感想をお願いします。

LS:ああ、だから一種の、想像力およびアクションの麻痺、みたいなことなんだろうな。ある種……それが注意力を引きつけるのは当然のことだ、というか。だって、それ以外に何も起きてないわけだから。

通訳:それは、現在の世界では何も起きていない、ということでしょうか?

LS:そう。いまやこう、ぞっとするくらいの停滞状態、というポイントにまで到達したと思うし。だから一種の、この……アポカリプスか何かの一歩手前、って状態が恒久的に続いている、みたいな? つまり、そうなる寸前の段階で時間が凍りついて止まってる感じ。だから逆に、いっそ物事が崩れ落ちてくれる方がむしろ救いになるんじゃないか、と。それってだから、永遠に変わらない型/枠組みが存在する、波頭が砕けることはない、ということだし。とにかく、そういう……まじりっけなしの不安感がある、と。で、思うにそれがおそらく、「これ」と明確にわかるやり方で、ではないにせよ、おれが伝えようとしてることなんじゃないのかな。とは言っても〝Today You Become Man〟、あの曲は、おれの兄の体験した割礼のお話で。

通訳:えぇっ? そ、そうなんですか!

LS:(苦笑)うん、彼は子供の頃に割礼を受けて……おれたちは半分アルジェリア人の血が混じってるんだ。だから兄は父方の故郷で、北アフリカの山々で割礼を受けた、と。

通訳:なるほど。かなり残忍な儀式、という印象ですが。

LS:ああ、かなりむごい。兄は麻酔も受けずにカットされたし……

通訳:ぐわぁ〜っ、聞いてるだけで痛そうで、きついなあ。

LS:フハハハハッ! でも、だからなんだよ、あの曲がかなりナーヴァスなものに響くのは。

音だけだと、あの曲はフィリップ・K・ディックの小説で描かれる悪夢みたいで、強烈に惹きつけられました。

LS:なるほど。一種、そうかもね。ハッハッハッハッ!(※ディックは「陰茎」を意味する言葉でもある)

通訳:たしかに……(苦笑)。

LS:でも、あのとき兄は5歳くらいだったはずで。だからあの曲では、兄があの思い出を語るときにやるおれたちの父親の物真似、それをおれが真似てるっていう。あの曲で起きてるのは、そういうことだよ。

このグループのなかに、アルバート・アイラー的な面はあるよね。思うに……おれ自身は、フリー・ジャズに造詣が深いとは言えないだろうな。ただ、誰もが色々でっちあげたというか、アルバム作りのあの時点で、みんな、思いつくままクソをあれこれと壁に投げつけて、何がこびりつくか見てみよう、と。

フリー・ジャズは聴くんですか? “Today You Become Man”にその影響がありますが、もしそうなら、とくに好きな作品/アーティストは?

LS:まあ、このグループのなかに、アルバート・アイラー的な面はあるよね。思うに……おれ自身は、フリー・ジャズに造詣が深いとは言えないだろうな。ただ、誰もが色々でっちあげたというか、アルバム作りのあの時点で、みんな、思いつくままクソをあれこれと壁に投げつけて、何がこびりつくか見てみよう、と。

通訳:(笑)

LS:あの曲は実は、9人で演奏した、20分近いジャムみたいなものだったんだ。だからアルバムに収録したのは、そこからカットした短い部分。

通訳:ジャムから編集してアルバム向けの尺にした、と?

LS:っていうか、あの曲のヴォーカルにとって「これだ」と完璧に納得できる、その箇所だけ使った。

FWFの10年の歩みを綴った、アデル・ストライプとあなたの共著『Ten Thousand Apologies: Fat White Family and the Miracle of Failure(1万の謝罪:ファット・ホワイト・ファミリーと失敗の奇跡)』(2022)はいつか読みたい本です。レヴューを読む限りでは、FWFの歴史においての、おもにドラッグ常用者の手記みたいなものらしいですが、合ってます?

LS:ああ……。

通訳:もちろんドラッグ体験ばかりではなく、バンド・ヒストリーも追っているのでしょうが。

LS:まあ、本の多くは、おれとおれの弟(Nathan Saoudi)の生い立ちについて、だね。アルジェリア半分/英国半分の子供で、北アイルランド、そしてスコットランドで育ち……ということで、まあ、とにかくちょっとばかし奇妙なお膳立てだったわけ。で、続いて20年くらい前のロンドン音楽シーンの話になり、みすぼらしい生活、一時的なスクウォット暮らし等々……不潔さ、カオス、ドラッグが山ほど出てくるよ、うん。でも、どうなんだろ? たぶん、これくらい早い時点でああいう本を書くのは、ちょっと妙なんだろうな。ただ、パンデミック期だったし、おかげでほかに何もやることがなかったし、だったらまあ、ここでひとつ過去を吟味してもいいだろう、と。当時は音楽活動をまったくやってなかったし。

この本を書こうと思った動機について聞きたいのですが、たしかに「バンドの伝記」はちょっと早いですよね。いまおっしゃったように、コロナがきっかけだった? それともいつか書きたいと思っていた?

LS:いいや、たぶんアデル・ストライプは、どっちにせよこのバンドのバイオグラフィを書くつもりだったんだと思う。彼女はパンデミックの前から、おれに協力を要請していたからね。パンデミックが世界的に爆発したまさにその頃に、おれたちは日本・中国・台湾・香港etcを回ってるはずだったんだよ(※2020年3月に予定されていたがキャンセルになったツアー)。だから本来は、おれがロード生活の合間に彼女にいくつかのパラグラフをメールする予定だったわけ。ところが何もかも一時停止し、バンド全員が家にこもっていたし、ほんと、こりゃ執筆には完璧なタイミングだな、と。うん、あれはまあ、一種のセラピー的なプロセスだったというか。どうかな? とにかく、もっと過去に起きた、とんでもなくカオスな出来事の数々を自分なりに理解するのに役立った。ほんの少しだけど、それらからなにがしかの理解を引き出せた。

書名を『Apologies(謝罪)』としたのはなぜ? 単純な話、まわりに迷惑をかけたからでしょうか?

LS:んー、おれが思ったのはそれよりももっとこう、このバンド内には常に、非常に悪意に満ちた、有害な対人関係の力学が存在してきたわけ。おかげでその歴史は丸ごと、絶え間ない川の流れのような無意味な謝罪の連続、みたいな。つまり、あれは一種の内輪ジョークというか。ほとんどもう、いちいち相手に謝るのすら面倒くさいというのに近い。どうせまた険悪になるんだし、だったら中身のない謝罪ってことだから(苦笑)。

通訳:なるほど。バンド内のテンションや個人間の葛藤もありつつ、それでも仲直りし再出発するものの、でもまた誰かがおじゃんにする、の繰り返しで続いてきた、と。

LS:まあ、悲惨なのは、この……「仕事」というのか何というのか、そのいちばん魅力的な面というか、本当はたぶんそうするべきじゃないのに、でも続けたくなってしまう、その理由って、パフォーマンスをやることと、そしてそれにまつわる経験すべてのもたらすハイなんだよね。だから、おれたちの間で起きた口論の数々は、みんなの生きてる自然界での当たり前の人間関係だったら、たぶん完全な仲違い・絶交に繫がっていただろう、そういう類いのものだったわけ。普通なら、自然死していたはずだ。でも、おれはこの、いわば痛みを感じにくい生命維持装置めいたものをまとい続けていたし、それって風呂に浸かったまま生きるようなもんで、だから毎晩のようにマジにエクストリームなことをやっていた、と。ところがいったんライヴが終わるや、一気に罪悪感が出てきて、全員がハイな状態のままで「ごめんな」「悪かった」とか、謝り合うわけ。すると急に、「何もかも滅茶苦茶だけど、それでもオーライ!」って信じることができるっていう。それってある意味……勝手な思い込み・妄想なんだろうな。一種、毛布をひっかぶってイヤなものは遮断する、そういう幻想っていうかさ。そうやってひたすら目をつぶって邁進し続け、でも状況はどんどん悪化し、恨みや憤りもどんどん積み重なっていく、と。うん、そんなとこ。

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そもそもこのバンドは常に、なかばダダイスト的な、社会実験みたいなものだったからね。だから、ヒットを出して大きく当てる、みたいなことはハナから意図してなかった。

“Religion For One”には不思議なパワーを感じます。負の感情が横溢していますが、この曲には陶酔感もありますよね。曲ができた経緯を教えてください。

LS:えーと、あの曲を書いたのはいつだったっけ? フーム……ああ、パンデミックが起こる直前に、おれは曲を書き始めて、それとフィンガー・ピッキングのギター奏法も勉強し始めたんだ。フィンガー・ピッキングでギターを弾きたいとずっと思ってきたし、ここでもまたパンデミックが、アコギで指弾きをやるのを習得する格好のタイミングになった、と。で、おれはちょっとした曲を作り始めたし、それらは、そうねえ……「えせレナード・コーエン」調とでもいうか? 単に自分で浸って書いていたし、あとまあ、〝Suzannne〟をギターで弾こうとえんえん練習してたから、というのもある。で、そのプロセスのなかからこの曲が浮上してきた、みたいな。たしかあの頃は、ルーマニア人の悲観主義作家/思想家のE・M・シオラン(Emil Mihai Cioran)をよく読んでたな。

通訳:ほう。

LS:彼の文章はまあ、「宇宙的にブラックな笑い」、みたいな? で、あのときのおれが向かおうとしていたのも、そのノリだったわけ。というわけで、そうだな……(小声でつぶやく)さて、あの曲を書いたのはいつだったかな、はっきり思い出せない……まあともかく、いまからずいぶん前の話だよ。おれが、いわゆる「タートルネックを着た、真面目なフォーク吟遊詩人」になろうとしていた間に書いた曲だ。

通訳:(笑)ボブ・ディランみたいな?

LS:そう、ボブ・ディランか何かみたいな(笑)

FWFのなかは、ロックにおける成功とはいったいなんなのか?という、カート・コベイン的なヒニリスティックな疑問があるのでしょうか? たとえば、大衆受けする曲を書いて、こうして取材を受けて、売れて、儲かるという、それらすべてのポイントってなんなんだ? みたいな。

LS:いや、おれは複数のバンドを掛け持ちしようとしてるし、執筆活動もやる。だから、9時5時の普通の仕事をせずに食いつなぐためには、色んなことをやらなくちゃいけないわけ。だからおれからすれば、自分が標準的な職に就くのを回避できたら、それは漠然とした「成功」と捉えていいだろう、と。もっとも、公正を期すために言うと、今のこの仕事(=バンド〜アーティスト活動)だって、ある意味、普通の仕事と同じくらい嫌いなんだけどね。普通の仕事をやってる方が、たぶんもっと経済的に楽だろうし。ってことは、自分はそこすら勘違いしてたんだろうな、つまり自分なりの「成功」の定義のレベルですら、あまりうまくいかなかった、と。いやだから、以前のおれは、ステージに登場しただけで、バンドがまだ何も始めてないのに観客が拍手喝采する、そうなったら成功だろうと思ってたんだよ。ほら、人気を確立したバンドのライブだと、彼らがステージに上がった途端に、もうお客は拍手するわけじゃない? そうなったら、たぶん自分はそれだけで満足だな、昔はそう思っていたわけ。でも、満足するってことはなかった。それ以外にも、求めることはいろいろあるっていう。ただ、近頃じゃ……スポティファイ等々の権力を持つ側が基本的に、「お前にはなんの価値もない」と決めてしまったわけでね。だからおれたちも、「ロックンロールのサクセスとは何か」の定義/尺度を格下げしなくちゃならなかった、と。その公式見解に足並みをそろえるのは可能だし、そうすればもうちょっとバンドも長続きするかもしれないけど、そもそもこのバンドは常に、なかばダダイスト的な、社会実験みたいなものだったからね。だから、ヒットを出して大きく当てる、みたいなことはハナから意図してなかった、という。まあ、いわゆる「インディ・ロック」と呼ばれる類いの音楽で実際に成功してるもの、それらの実に多くはマジに、もっとも憂鬱にさせられるような戯言だしね。あれを聴くくらいなら、おれはむしろ……いや、実際にテイラー・スウィフトを聴いたことはないけど、たとえば彼女の類いの音楽を聴く方が、あの手のバンドを聴くよりも「侮辱された」って気にならないだろうな、と。つまり、例の「ポスト・ポスト・ポスト・ポスト・パンク」バンドの手合いね。生真面目で、時機に即した正義感あふれる歌詞、たとえば「自分たちはどれだけ移民を愛してるか」だの、ジェンダー問題云々、まあなんであれ、そのときそのときでホットな話題を取りあげる連中。それこそもう、「いま熱い」トピックを次々に繰り出す糸車みたいだし、しかもそのすべてに歯を食いしばるようなひたむきさが備わってて。だから、ユーモアにもセックスにも欠けるし、ただひたすらこう、「乾いてる」という。そういうのには、おれはとにかく、一切興味が持てない。

通訳:カート・コベインについてはどう思いますか? ニルヴァーナは90年代でもっとも成功したロック・バンドのひとつになり、彼はその重圧に苦しみました。で、大ヒット作のパート2ではない『In Utero』を作ったのは一種の「自己サボタージュ」だったと思います。『In Utero』はいまではクラシック・アルバムとされていますが、当時はニルヴァーナのキャリアを棒に振ると言われた問題作でしたし――実際、彼は自らの命を絶ってしまいました。彼のそういう厭世的なところは、理解/共感できたりしますか?

LS:そうだな、今日の……おれたちが生きてる時代の音楽の歴史って、実際面での再編成に影響されてるんじゃないかな。つまり、音楽をやってもちっとも金にならない、と。その点は本当に、とにかく何もかもの力学を丸ごと変えたと思う。不可能だ、と。だからもう、そうしたことをやる権限はないわけ。おれが見渡す限り、そういうタイプのスター、あるいはならず者的な存在は見当たらないし、うん、少なくともロックンロールの世界では、そうした人物は過去の遺物だね。まあ、もしかしたらカニエが、ラップ界でその旗を振ってるのかもしれないけど(苦笑)?

通訳:(笑)たしかに。

LS:(笑)「マジにファッキン狂った男」をやってて、危ない奴だ、と手かせ足かせで拘束されるっていう。一方でロックンロールはいまや、ブルジョワ階級の道楽めいたものになってる。こけおどしの儀式/祭典みたいなもんだし、これといった文化的な生命力は、そこにはもはやない。とにかく都会暮らしの中流階級のガキが繰り広げる仮装大会だし、要するに、そこには鋭い切れ味がすっかり欠けている、と。だから、いま言われたような「成功を拒絶する」型の声明を打ち出すのは、もう、どんどんどんどん、むずかしくなる一方なわけ。ってのも、メンバー全員が完全に頭がおかしくなり、あっという間に爆発してしまうことなしにバンド活動を続け、作品を出しツアーに出続けるのは、もう不可能だから。いまバンドをやってる連中は、そこにこもってODできるような私邸すら持ってない。三回離婚しても慰謝料を払えるほど稼いでもいないし、個人的なメルトダウンを起こしたら逃げ込める私有牧場も持ってない。コカインは高過ぎて買えないから、それより安いスピードに切り替えるしかないし、ヘロインの代わりにフェンタニル(※合成オピオイドの鎮痛剤)を使う……みたいな感じで、とにかくあらゆる基準において、何もかもが格下げされてきた。もちろんほかのすべて、生活基準etcもグレードが落ちてるけど、音楽におけるそれは、とりわけひどい。音楽がいかにシェアされるか、という意味でね。それこそもう、基準なんて存在しない、というのに近い。少し前に――これまた一種の「ロックンロールの自殺者」と呼んでいいだろうけど――デイヴィッド・バーマンに関する記事を読んで。

通訳:ああ、シルヴァー・ジュウズの(※1989年結成のUSバンド。2005年にラスト・アルバムを発表し09年に解散、フロントパーソンのバーマンは2019年に新プロジェクトをデビューさせたものの程なくして自殺)。

LS:うん。デイヴ・バーマンについて読んでたんだ、彼が自ら命を絶つ少し前にリリースした、最期のアルバムがとても好きだから。

通訳:『Purple Mountains』ですね。

LS:そう。あれはほんと……今世紀のもっとも美しいレコードのひとつ、というか。それくらい、本当にあのアルバムが好きで。でまあ、それで彼に関する記事を読んでたんだけど、そこに「彼はナッシュヴィルに家を買った」みたいな記述があって。90年代のレコード売上げ等々で彼には家を買えた、と。それを読みながら、おれは……いやだから、シルヴァー・ジュウズを聴くと、そのいくつかはとんでもない内容で(苦笑)。

通訳:(笑)

LS:それこそ、もっとも商業性のないオールドスクールなフォーク・ロックみたいなノリだし、歌詞にしてもへんてこで脱線気味。どう考えても「ヒット曲満載」ってもんじゃないし、支離滅裂で。だから「えぇっ、デイヴ・バーマンはあれでも家を買えたんだ!」と驚いた。「一体どうやって?」と思った。でも、ああそうか、90年代だったからか、と納得したっていう。

通訳:時代もありますし、あの頃のナッシュヴィルでも、郊外ならまだなんとかなったんじゃないですか?

LS:ん〜〜、たしかに。それはそうだな。ナッシュヴィルの不動産価格をきちんと調べた上でじゃないと、これに関して早合点はできないかもしれない。

通訳:(笑)。いまは、たとえばナッシュヴィルで腕を磨いたテイラー・スウィフトの成功で再び新世代のカントリー・シーンが盛り上がり、状況も違うんでしょうが。

LS:だけど、カントリーは常にかなり人気があるジャンルだと思うけど? それって、アメリカ国外のおれたちみたいな連中には認識できない、そういうもののひとつだと思う。ただ実際には、カントリーはアメリカでいちばん人気のある音楽と言っていいくらいポピュラーで。ヘタしたらヒップホップよりビッグかもしれないし、産業としてもめちゃめちゃ巨大だろうし。で、その再重要地点がナッシュヴィル、みたいな。だから、いまはもちろん90年代ですら、家の価格はかなり高かったんじゃないかと思うな……。ちょっと話が逸れたけども。

メンバー全員が完全に頭がおかしくなり、あっという間に爆発してしまうことなしにバンド活動を続け、作品を出しツアーに出続けるのは、もう不可能だから。いまバンドをやってる連中は三回離婚しても慰謝料を払えるほど稼いでもいないし……みたいな感じで。

たしかに。質問に戻りますが、先ほど「音楽にヴァイタリティがなくなってしまった」とおっしゃっていましたが、文化全般についてはいかがですか? 60年代末のカウンターカルチャー、パンク〜レイヴ・カルチャーの時代に比べて、文化の力が弱まったという意見がありますよね。あなたもそう思いますか? もしそういう自覚があるようだったら、その苛立ちというのはFWFに通底していると言えるのでしょうか?

LS:まあ、基本的にインターネットがそうした物事のすべて、君がいま挙げたようなサブカルチャーetcのポテンシャルを一掃してしまったんだと思う。それらはみんな、「ポスト・インターネット時代」においては認知不可能なものになってしまった、と。人びとの頭のなかに入り込んでしまう、この、奇妙な均質化と関連してね。つまり、インターネットの本質に不可欠なのは、可能な限り誰もがほかのみんなと似たり寄ったりになる、ということだし、そうすればマシンもより円滑に機能するわけで。思うに、かつて特定のファッションなり、音楽やサウンドなり、とある地域なりの周辺に集まって融合したエネルギーというのはすべて……そのエネルギーはきっと、何かに対する反抗だったり、あるいは単に、抑圧された表現の奔出だったんだろうけども――それらは全部、この「オンライン空間」みたいなものにパワーを集中し直したんじゃないかと。というわけで、意地の悪いケチな争い合いの数々に、色んなヴァイラル/TikTokのバズの堆積物の山だの……要するに君は、エンドレスに連続する、減少していく一方の無数の「無」を前にしてる、みたいな。フィジカルな世界で有機的に成長していくことのできる、真の意味での焦点/中心点ではなくてね。何もかもからそれが剥ぎ取られてしまい、そうした過去のサブカルetcに対するノスタルジアがそれに取って代わった感じ。おかげで、安っぽいイミテーションだのパロディが絶え間なく出て来るし、いまやもう「パロディのパロディの、そのまたパロディ」みたいな地点にまで達してる。でも、たとえばUKを例にとってみても――もちろん、音楽はいまだに英国有数の大産業だし、もっとも稼ぐ輸出産業のひとつなんだよ。ただ、そんな国なのに、全国各地で小規模のライヴ・ハウスやクラブ会場が消えつつあって、その存在は風前の灯。代わりに、新たなアリーナ会場が作られてる。

通訳:ああ、そうですよね。

LS:アリーナ公演のチケット代が天井知らずで上がる一方で、200〜300人規模のヴェニューは店じまいしてるわけ。だからなんというか、ギー・ドゥボール的な「スペクタクルの社会」になってる、というか? そこにはプラスチックでにせの「神」的存在が次々担ぎ出され、古風なロックンローラー、それこそテイラー・スウィフトでもいいし、ポール・マッカートニーでもいいけど、その手の重々しい「巨人たち」が登場する、と。ただ、そんな見世物はどう考えてもこっちも即応できる反応的なものじゃないし、観客が参加することも、何か加えることもできない。そこでは何もかも司令部からのお達しに従っているし、すべては大企業型の、こちらを疎外するような中央集権的なノリ。でも、そこが変化するとは、おれは思わないな。というのも、60年代等々の、文化がまだ重要だった時代から遠ざかれば遠ざかるほど、それに対するノスタルジアは強まる一方だろうから。人びとは20世紀半ば以降の半世紀を振り返って、あの頃は文化的に最高な時期だったと思うんだろうし、とくに、ポップやロックンロールといったタイプの音楽に関してはそうだろうね。ただ、あれらは本当にその時代特有の、かつ、当時の社会経済およびテクノロジー状況に固有の音楽であって。つまり、あの頃にはまだ第二次大戦後復興期の若々しい元気さがあったし、ある種のナイーヴさもあったわけで。新たに生まれた各種テクノロジーに対する、子供のあどけなさに近いものもあったし、そうやってラジオやロックンロールのパワーをコントロールしていった若者たちに、まだ企業/体制側も追いついていなかった、と。うん、いまの時代に、それはまったく不可能な話だと思う。

新作には、ダンサブルな曲がいくつかあります。“What’s That You Say”や“Bullet Of Dignity”のことですが、こうしたエレクトロ・ディスコな曲をやった経緯について教えてください。つまり、あなたはダンス・ミュージックにどんな可能性を見ているのか。

LS:いや、っていうか、おれはDecius(ディーシアス)って名前のダンス・ミュージックのプロジェクトもやってるんだ、パラノイド・ロンドンの奴らと一緒にね。そこではクラシックなハウス〜テクノ系の音楽をやってるよ。でもまあ、ダンス・ミュージックへの傾倒は以前からあったし、何年もの間に自然に、徐々にそっちに向かっていたんだと思う。だから、とくに深く考えてのことじゃないね。たまたまそういう流れだった、と。おれたち、ドナ・サマーのファンだし。

通訳:(笑)彼女は最高です! とにかく『Forgiveness Is Yours』は時代のムードに合っている作品でとても気に入っています。どうも、ありがとうございました。

LS:ありがとう。バイバイ!

4月のジャズ - ele-king

 先日、サックス/フルート奏者のチップ・ウィッカムのインタヴューをおこなったが、そこでも話題に上ったのがハープ奏者のアマンダ・ウィッティングだ。チップ・ウィッカムのアルバム『Blue To Red』(2020年)、『Cloud 10』(2022年)に参加しているが、彼と出会ったのはマシュー・ハルソール率いるゴンドワナ・オーケストラのツアーで、そこから親交がはじまっている。マシュー・ハルソールゴンドワナ・オーケストラの作品においてはハープがとても重要な位置づけにあり、必ずと言っていいほどハープ奏者がフィーチャーされてきた。ハープはだいたい女性奏者が演奏することが多く、ゴンドワナ・オーケストラにおいてもこれまでレイチェッル・グラッドウィン、マディ・ロバーツ、アリス・ロバーツが務めてきており、現在それを担うのがアマンダ・ウィッティングである。ほかにもミスター・スクラフジャザノヴァグレッグ・フォート、ヒーリオセントリックス、レベッカ・ヴァスマン、DJヨーダなどと共演してきた彼女は、自主製作で3枚ほどのアルバムをリリースした後、2020年に〈ジャズマン〉から『Little Sunflower』を発表。フレディ・ハバードの名曲をカヴァーしたこのアルバムにおいて一躍注目のハープ奏者となる。そうしてマシュー・ハルソールやチップ・ウィッカムなどとも交流を深め、『After Dark』(2021年)、『Lost In Abstraction』(2022年)にはチップも参加している。


Amanda Whiting
The Liminality Of Her

First Word

 最初はクラシック・ハープを学び、その後ジャズの演奏をはじめるようになったアマンダ・ウィッティングだが、チップ・ウィッカムのインタヴューでは彼女について、1960~1970年代に活躍したジャズ・ハープ奏者の草分けのひとりであるドロシー・アシュビーに近いタイプの演奏家で、メロディアスでソウルフルな演奏が特徴にあると言っていた。そうしたところもあってか、ジャズにおいてもクラブ・ジャズ寄りのアーティストや、エレクトロニックなクラブ系アーティストにも起用されるのだろう。2023年には〈ファースト・ワード〉に移籍して、ヒップホップ/ソウル系のプロデューサー・チームであるダークハウス・ファミリーの片割れであるドン・レイジャーとの共演作『Beyond The Midnight Sun』をリリースしている。ジャズだけでなく幅広いタイプの音楽にアマンダのハープは見事にフィットすることを示したアルバムだった。

 そして、それから1年ぶりの新作『The Liminality Of Her』がリリースとなった。編成はハープ、ベース、ドラムス、パーカッションで、今回もゲストでチップ・ウィッカムのほか、女流DJ/シンガー/プロデューサーのピーチが参加する。そのピーチをフィーチャーした “Intertwined” と “Rite Of Passage” は美しいメロディーと繊細なムードに包まれ、モーダル・ジャズとソウル・ミュージックが結びついた最高の作品と言える。“Liminal” はアフロ・キューバンとジャズ・ファンクが融合したようなリズムで、ドロシー・アシュビーの〈カデット〉時代の名作『Afro-Harping』(1968年)、『Dorothy’s Harp』(1969年)、『The Rubáiyát Of Dorothy Ashby』(1970年)を彷彿とさせる。“Nomad” のハープはまるで琴のような音色で、「遊牧民」というタイトルどおりのエキゾティックなムードを演出する。もっともダンス・ジャズ的な作品は “No Turning Back” で、アフロ・キューバン調の転がるパーカッションに乗った軽快な演奏を披露する。クラブ・ミュージック系アーティストからも彼女が支持される理由がわかる演奏だ。


Shabaka
Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace

Impulse! / ユニバーサル

 シャバカ・ハッチングスは2022年にシャバカ名義でのソロ・アルバム『Afrikan Culture』をリリースしていて、今回リリースした『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』はその第2弾となるもの。『Afrikan Culture』はごく僅かのゲスト・ミュージシャンの手は借りるものの、基本的にはシャバカひとりの演奏のみで完結していた。従って非常にシンプルな楽器編成で、サウンドも原初的なものとなる。ほかのプロジェクトではサックスを演奏することが多いシャバカだが、このプロジェクトではフルート、クラリネット、尺八などで、それ以外にヴォイスも交えている。シャバカはいろいろなプロジェクトをおこなうなかでも、どこかに自身のルーツであるアフリカの音楽を感じさせる作品づくりをおこなってきたが、このソロ・プロジェクトはもっともアフリカ色が色濃く表れたもので、それも現代的なジャズへと行きつく遥か以前の民謡というか、原型的な音をそのまま抽出したようなものだった。

 『Perceive Its Beauty, Acknowledge Its Grace』は参加ミュージシャンが増え、カルロス・ニーニョブランディ・ヤンガー、ミゲル・アットウッド・ファーガソン、エスペランザ・スポールディング、ジェイソン・モランらアメリカのミュージシャンも加わっている。また、フローティング・ポインツアンドレ・3000などクラブ・ミュージックの分野のひとたちから、アンビエント/ニュー・ミュージック界の巨匠であるララージ、エスカ、モーゼス・サムニーリアン・ラ・ハヴァスなどシンガー・ソングライター、ソウル・ウィリアムス、エルシッドなど詩人やラッパーと幅広い人脈が集まる。こうしたアルバムはともすると散漫な印象になってしまう危険性があるが、『Afrikan Culture』にあったような原初的な音楽性は損なわれていない。そして、基本的に音数や楽器はミニマルな構成となっていて、“End Of Innocence” や “As The Planets And The Stars Collapse” など静穏とした世界を展開する。ゲスト・ミュージシャンは多いが、個人個人の色は極力出さないようにしていて、あくまでシャバカの絵のなかの背景の一部となっているようだ。ハンドクラップのようなリズムの “Body To Inhabit” はエレクトロニクスを交えた作品ではあるものの、極めてプリミティヴな音像を持つもので、かつて1980年代にジョン・ハッセルブライアン・イーノとやっていたアフリカ音楽とアンビエントの融合を思わせる。


Glass Beams
Mahal

Ninja Tune

グラス・ビームスはオーストラリアのメルボルン出身のギター、ベース、ドラムスのトリオで、覆面をしてパフォーマンスをするというミステリアスさが話題を集める。東洋音楽と西洋音楽を融合したエキゾティスズム溢れる音楽性を持つが、リーダーのラジャン・シルヴァの父親がインド出身で、幼少期からラヴィ・シャンカール、アナンダ・シャンカール、R.D.バーマン、カルヤンジ・アナンジなどのインドの音楽に親しんできたという背景がある。インドや中近東、東南アジア、北アフリカなどの音楽と、ジャズ・ファンクやサイケ・ロックなどが結びついたのがグラス・ビームスなのである。クルアンビンあたりと共通するところもあるが、より民族音楽の色合いが強いバンドと言えるだろう。

 2021年にオーストラリアで「Mirage」というEPをリリースした後、2024年に〈ニンジャ・チューン〉と契約してミニ・アルバムの『Mahal』をリリースした。“Mahal” はインドや中東で宮殿を指す言葉で、その言葉どおりエキゾティックな旋律を持つジャズ・ファンクとなっている。基本的にはスリーピース・バンドであるが、“Orb” では尺八やフルートのような音色だったり、おそらくシンセで作ったミステリアスなSEを交えてサイケな空間を作り出している。“Black Sand” におけるギターもシタールを模したような音色で耳に新鮮だ。


Kenny Garrett & Svoy
Who Killed AI?

Mack Avenue

 デューク・エリントン、アート・ブレイキー、マイルス・デイヴィスらジャズ界の巨星たちと共演してきて、一方でクリス・デイヴジャマイア・ウィリアムス、シェドリック・ミッチェルら現代ジャズの精鋭たちを自身のバンドから輩出してきたサックス奏者のケニー・ギャレット。自身のリーダー・アルバムでは『Trilogy』(1995年)や『Pursuance: The Music Of John Coltrane』(1996年)のようなモードを追求した作品から、ファンクやソウル色の強い『Happy People』(2002年)、中国やアジアをモチーフとした壮大な『Beyond The Wall』(2006年)など多くの傑作を残している。ソロ・アーティストとして頭角を現したのは1990年代半ば頃からで、それ以降は現代で強い影響力を持つサックス奏者のひとりであり続けている。ロバート・グラスパーも修業時代に彼と共演し、いろいろ影響を受けたと述べていたことがある。

 近年は『Sounds From The Ancestors』(2021年)などアフリカ回帰色の強い作品を発表していて、そんなケニー・ギャレットの最新作はスヴォイことミハイル・タラソフとの共演作。ロシア出身のスヴォイはアメリカのバークリー音楽院に留学し、ジャズ・ピアノを学ぶと同時にエレクトロニック・ミュージックも手掛けるようになった。これまでに『Automatons』(2009年)のようなダンス~エレクトロニカ的なアルバムをリリースする一方、ミシェル・ンデゲオチェロ、レニー・ホワイトなどジャズ・ミュージシャンとも度々共演している。ケニー・ギャレットのアルバムにも『Seeds From The Underground』(2012年)、『Pushing The World Away』(2013年)でそれぞれヴォーカル、ストリングス・アレンジを担当し、今回はアルバム丸ごとでコラボレーションを行っている。ケニー・ギャレットもかつてQ・ティップの『Kamaal The Abstract』(2001年録音)に参加するなど、ヒップホップやクラブ・ミュージック系アーティストとの共演に対して寛容なスタンスを持つ人で、スヴォイとの共演についてもチャレンジングな気持ちで臨んでいる。『Who Killed AI?』というタイトルが示すように、AI時代の現代を表現したもので、スヴォイの作るエレクトロニックなトラックをバックにケニーのサックスが即興演奏を繰り広げる。マイルス・デイヴィスがAIを通じてコーチェラで演奏したらという “Miles Running Down AI” や、ケニーのソプラノ・サックスがスヴォイのシンセを通じてエレキ・ギターのような音色へ変調する “Divergence Tu-dah” など、これまでのキャリアからまた大きく飛躍する斬新なアイデアに満ちた作品集となった。

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